気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「宮本武蔵」 円明の巻

 

 ◆円明の巻

 

再読を思い立ち、読み続けてきた「宮本武蔵」も、ついに最終巻「円明」の巻を迎えた。前巻では、武蔵が宝蔵破りの冤罪で囚われの身となるが、沢庵らの計らいもあり、晴れて無実が明かされる。さらには、沢庵、北条安房守の推挙により、江戸幕府師範就任の話へと発展するのである。

 

かたや佐々木小次郎は、細川家の師範であるから、その出世のレベルは格段に違う。武蔵も一度は「極めてきた剣の道が経綸道へも通ずるのだ」ということを試してみたいという思いにも至った。武蔵も受ける決意が固まりつつあった。しかし、それを何としても阻みたいお杉婆の執念。あらぬ讒言の限りを尽くし、結局武蔵は、「仇持ちであり、その方は老齢の者」という理由でこの話は沙汰となってしまう。

 

武蔵は、囚われの身から解放された後、ともに過ごしていた夢想権之助や伊織と離れ、一人、またしても修行の道へ入ることを決意する。

「門に入ることの栄達、門を出ることの栄光」という表現があった。将軍家の門に入ることは栄達であろうが、自身はその門を去り、剣の道に生ききることに栄光を見るというのだ。

 

一方、柳生家に身を寄せているお通。石舟斎は亡き人となり、その孫にあたる兵庫(利厳)は密かにお通に思いを抱くが、お通の一途な武蔵への思いは変わらない。当然この柳生家に、武蔵が将軍家師範となる話は入り、お通を武蔵の元(江戸)へ送り出すが、予想外の破談とともに、武蔵とお通はまたもすれ違いの人生を歩むこととなる。

 

権之助と伊織の弟子二人の旅。道中、武蔵と縁する様々な人物との出会いがある。宝蔵院の公開試合の見物の場で、兵庫や助九郎らと出会う。あの本阿弥光悦とその母との出会いもある。権之助も伊織も、会う人物の高さを感じ、その人物の口から出る武蔵の語りを聞いて、師の偉大さに誇りを感じたことだろう。しかし、権之助は亡き母の供養に出向いた高野山九度山あたりで、真田家の手下のものに不審者として狙われ、この時に伊織を逃がし、自分は囚われの身となる。その人となりから直ぐに真田家の理解が得られるが、ここから伊織とは別々の生活が始まる。

 

一方の武蔵は、岡崎あたりで、無可先生と呼ばれ剣術塾を行いながら、恐らく自身の剣の道を究め続けていたのだろう。この時に、罪滅ぼしに出家した又八と出会ったりする。この又八との出会いが、禅師愚堂との再会につながる。ついに行き詰った武蔵は、必死の思いで、愚堂に教えを乞う。愚堂の答えはいつも直接的ではない。

「無一物!」

武蔵の周りの地に、円を描く和尚。その円の中に写る自身の影をみる。

武蔵は知る。
「影は自己の実体でない。行き詰ったと感じている道業の壁もまた影であった。行き詰ったという迷い心の影だ。」
これが「円明の巻」のタイトルの由来か。

 

細川家の師範となった小次郎。推挙したのは岩間角兵衛。一方でもうひとり武蔵を細川家に推挙していた老臣長岡佐渡。果たして小次郎と武蔵、いずれが真の剣の達人なのか。その決着をつけるべく、武蔵と小次郎の対決が噂となり、そして現実のものとなっていく。決戦の舞台は、関門海峡に浮かぶ「船島」。この島をなぜ、「巌流島」と呼ぶのかという疑問がわく。なぜ巌流佐々木小次郎の名前が採用されているのか。

 

それはともかく、この物語の最大のクライマックス、武蔵と小次郎の対決のシーンが描かれていく。島には、権之助も伊織も、復縁した又八と朱実も、改心してお通や武蔵に詫びたお杉婆も、そして一途に思い続けたお通の姿もある。お通は、対決の直前に、武蔵から「妻である」という言葉を伝えられる。

「武士の女房は、出自にめめしゅうするものではない。笑うて送ってくれい。これ限りかもしれぬ両人の船出とすれば、なおさらのことぞ」

 

この一瞬の戦いに、武蔵の「五輪書」に納められた一切の剣の心得が集約されていたのだろう。しかし、この戦いに臨んだ小次郎も、すでに一人の人間になっていた。
「人間ー素肌の自己。これ一箇しか、今は、恃むもののないことをさすがに悟っていた」

 

著者はこの勝敗をこのように表現していた。
「小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。」

武蔵が求め続けたものは何であったか。小説は、次の言葉でくくられている。「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」

「宮本武蔵」 二天の巻

 

 ◆二天の巻

 

「二天の巻」、まるで新聞の連載を読むかのようなペースで読んでいたので、読了までに相当の時間がかかってしまった。それでも、その時、その時のシーンに瞬時に入り込めるよい小説である。

 

前巻では、一乗寺の決闘を終えた武蔵、そしてお通、城太郎がともに江戸に向かって旅立った。しかし、又八がお通をかっさらう事件が起こり、3人はそれぞれバラバラになってしまう。武蔵は途中、三沢伊織という少年を弟子にし、伊織を伴って江戸へ向かう。細川忠利のもとへ、2人の家臣がそれぞれに人物を推挙していた。一人は、老臣長岡佐渡宮本武蔵を。もう一人は岩間角兵衛が佐々木小次郎を。細川忠利の母は、明智光秀の子・玉子であり、物語は先ごろの大河ドラマ麒麟が来る」の若干後の時代となる。

 

小次郎と武蔵は、この推挙に対する考え方が全く正反対だ。小次郎はプライドが高く、自分が推挙されるのは当然と考えるうえで、なおかつ安売りはしない。そしてまた、武蔵に対するライバル意識がかなり強い。それに対し、武蔵は推挙されることに感謝こそすれ、自身の剣を磨く道とは異なると考える。抱えられた主君に忠誠を尽くす剣の使い方よりも、土民百姓の手を取りながら治国の道を切り拓く生き方のほうに関心がある。

ライバル視(といより敵視)する小次郎や、武蔵を憎む本位田のお杉婆などの讒言で、武蔵の推挙の情報に傷がつくが、武蔵自身はそのようなことを歯牙にもかけない。

 

後に、武蔵は、沢庵や北条安房守の推挙を得て、将軍家師範に推挙されるが、またしても讒言情報のため、寸前で取り下げとなってしまう。それも武蔵はむしろよかったと内心喜ぶのである。当時の将軍家師範には、あの柳生但馬守宗矩の柳生家や、小野治郎右衛門忠明の小野家が就いており、目がくらむような出世であろうと思われるが、それよりも自身の道を考えるあたりが武蔵らしい。

 

一方の小次郎は、結果として細川家に自分が想像していた報酬よりも低めで抱えられるが、武蔵の将軍家推挙の話をきいて、嫉妬心を抱くというような小人物である。

 

この巻のもう一つの動きとして、奈良井の大蔵という人物の暗躍がある。本巻で謎の正体が明かされるが、彼は石田治部の刎頸・大谷刑部の家臣という設定となっている。関ヶ原での敗北により、江戸幕府への強い反感を抱いているようだ。あちこちで大胆な盗みを働き、そこでえた資金で、幕府転覆?(本巻の中では、徳川秀忠暗殺)を企む。城太郎は、知らず知らずのうちに、大蔵の手下となり、また優柔不断な又八も金に目がくらんで、大蔵の暗殺計画に引き込まれる。そしてまた、宝蔵破りの事件に巻き込まれた無実の武蔵までが、囚われの身となってしまう。

 

そして、彼らを不幸転落の道から救い出すのは、いつも沢庵和尚である。武蔵にとっても師匠的な存在だ。いま、武蔵は冤罪から解放され、旅の途上で出会った夢想権之助と弟子の伊織とともにいる。本巻の中で「二天」の説明はなかったが、やはり武蔵と小次郎を指しているのだろうか。いよいよ、次は最終巻「円明の巻」に入る。

「宮本武蔵」 空の巻

 

 ◆空の巻

 

吉岡一門との一乗寺下り松の決闘を制した武蔵は、生きてお通と会えたことを喜び、お通もまた命ある武蔵と会えたことに至上の喜びを感じた。若い二人の思いは、お互いの心において成就するものの、お通の恥じらいの気持ちは武蔵の真っすぐな思いを、瞬間的に跳ねのけてしまい、武蔵もまた戸惑いや恥じらいに煩悶する。正直に人を愛する気持ちと、剣に生きる道とが、同時に成立しないかのような思いにとらわれる。

 

ともかくも、武蔵とお通と城太郎は、江戸表で向かう。同じ旅路につきながらも、お通と城太郎の二人と、武蔵とは、なぜか間をとりながら、しかしお互いを意識しながらの歩みを進める。

 

そうこうしているうちに、この3人を引き離してしまう事件が起こる。その張本人があの又八である。自分というものを確立できず、常に環境に支配され、流される人生しか歩めない。又八は、武蔵に嫉妬し、こっそり後をつけていたのか、こともあろうにお通を誘拐する。

 

お通と城太郎を探す武蔵は、駒ケ岳のふもとの土民親子と出会うが、お互いの勘違いから戦うこととなる。親子とは、後に夢想流杖術の始祖と呼ばれる夢想権之助とその母だ。武蔵と壮絶な戦いをし、権之助は瀬戸際の母の一声を機に武蔵に一手打ち込んで、武蔵に「負けた」と言わせしめた。一方の武蔵も真剣で勝負しながら、みねうちで権之助の命を助ける。夢想権之助の伝書の奥書には、「導母の一手」が記されているそうであり、また彼は終生、武蔵に負けたことを誇りとして公言していたようだ。

 

武蔵はこの旅路で、様々な人との出会いを経験する。
細川忠利の臣下・長岡佐渡や奥州青葉城伊達政宗公の臣下・石母田外記などから、武蔵は人物として惚れられ、主君のもとへ来ないかと誘われる。この時代、よい人物を主君に推挙することは、家臣としての最高の手柄であった。

 

関ヶ原以降、各武将は自らの国の安定のため人材を求めていたし、まだまだ東西勢力の再戦がくすぶる時代でもあった。秀頼が後藤又兵衛真田幸村をかかえていたように、戦いの備えとしても本物の人材が求められていたようだ。しかし、武蔵は「剣を磨く」ことの意義を、謙信や政宗のように士道(軍律)としては捉えず、人間を磨く剣道として捉え、推挙を辞し、自身の道を選択する。

 

また武蔵は、江戸に至るまでに、騙されて路銀を全部盗られたり、いてもたまらない空腹を助けられたりと、様々な人生経験をする。その中で、本巻の一つのクライマックスは、坂東平野の法典ケ原で父を亡くし天涯孤独となった伊織との出会いのシーンだろう。武蔵は、伊織を弟子にする。そして、度重なる水害で決して作物が育つことのない荒れ地を、伊織と共に耕し、作物を育てる生活を送る。せっかく耕した土地も濁流にのみこまれ、村の人々はそんな二人を狂人扱いする。しかし、武蔵はこれを剣の修行と捉えていた。

「水には水の性格がある。土には土の本則がある。その物質と性格に素直に従いて、おれは水の従僕、土の保護者であればよいのだ。」

 

あるとき、武蔵を狂人扱いした村人達が盗賊に襲われたときに、武蔵は一人その盗賊集団に立ち向かう。そして、村人たちに武器の扱いと、戦う心を教える。武蔵はついに村人から信頼を勝ち取り、村人たちと力を合わせ、荒れ地を沃地に変えることに成功する。村の治安も安定し、人々は喜び、そんな噂をきいた長岡佐渡が、武蔵をスカウトに訪れたという経緯だ。しかし、その時にはすでに武蔵も伊織も村を後にしていた。

 

江戸に向かうときに、富士を見て、武蔵が伊織に言う言葉が心に残る。

「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人が決めてくれる。」

 

江戸に入り、お通は縁があるのか、柳生石舟斎の高弟木村助九郎と出会い、又八の拘束から逃れ、柳生家に仕えている。一方、城太郎は、途中、奈良井の大蔵という男と出会い江戸へ向かう。奈良井という男が何者かはまだ明かされていないが謎の多い男ではある。

 

武蔵の命を付け狙うお杉婆も江戸へ入り、佐々木小次郎もまた江戸にいる。武蔵に対して、明確な根拠のない敵対心を抱くこの二人はなぜか結託する。

 

佐々木小次郎は、秀忠公の軍学の師である小幡勘兵衛景憲の門下を斬り、軍学をさげすみ、小幡の道場を小馬鹿にする傲慢で、小幡の門下の恨みをかっていた。報復を試みる小幡門下はことごとく返り討ちに遭い、高弟の北条新蔵までも斬られてしまう。舞台は江戸に移った。次の巻は、「二天の巻」。二天とは何を指すのか。武蔵と小次郎か?

「宮本武蔵」 風の巻

 

 ◆風の巻

 

「序の巻」に、「宮本武蔵のあるいた生涯は、煩悩と闘争の生涯」とあった。この「風の巻」では、その闘争の局面と、煩悩による心の葛藤が、特に色濃く描かれていた。何といっても、前巻「火の巻」から持ち越された、京の名門吉岡道場を率いる吉岡清十郎との対決シーンが待ち遠しい。五条大橋に高々と掲げられた公場対決の高札。そして蓮台野での対決。

 

しかし、この対決、あっけなく終わってしまう。武蔵の眼に映った清十郎は、京流第一の兵法者というより、都会的な線の細い公達だった。闘志も伝わってこず、すでに戦う前から決着はついていた。自らの剣を高めるために戦う武蔵は、この戦いを悔いた。決闘で片腕を失うこととなった清十郎に同情すらした。名門であるがゆえに、避けることのできなかった悲劇。


しかし、清十郎は負けて、この敗北が必然であったことを悟る。「考えてみれば、おれは吉岡拳法の子と生まれた以来、なんの修行らしいことをして来たか。おれは武蔵の剣に敗れる前に、一家の戸主として、人間として、すでに敗北の兆しをもっていた。」

 

兄の敗北による名門の汚名を晴らすため、兄よりも剣の実力は高いと言われる弟の伝七郎が、武蔵に決闘状を差し出す。再び蓮華王院での吉岡道場と武蔵の対決。この戦いでは実力は均衡しており、武蔵も相手の上手を感じざるを得なかった。武蔵は戦いに地の利を考慮した。相手より何尺か高い縁の上に立ち、三十三間堂の長い壁を背にして、背後からの敵を封鎖する位置を選んだのだ。武蔵が戦いの中から身に着けてきた経験則だろう。

 

吉川英治の座右の言葉に「我以外皆我師」がある。武蔵もまた、自分以外のあらゆるものを師として、自身の剣を磨いてきた。蓮華王院においても、気と気の闘いの末、精神力で勝った武蔵が、伝七郎を一瞬の一振りで下す。

 

武蔵は、人との偶然の出会いにも恵まれる。清十郎との闘いの後、刀の鑑定、絵、陶器、蒔絵、書で名高い本阿弥光悦とその母親・妙秀と出会い、そこから剣の道に通ずる何物かを感じ取る。さらには光悦に連れられ初めて行く遊郭で出会った吉野太夫との問答からも、また剣上達へのヒントを得る。吉野太夫は、持っていた琵琶をたたき壊し、その内部構造、特に横木のもつ抑揚と弛みの性質について語り、武蔵はこれまでの「ただ冷たく凝結していた自分」というものに気付くのである。

 

一方、後継者兄弟を失った吉岡道場では、門人全員が汚名をそそぐため、武蔵を亡き者とする計画を企てる。どんな手を使ってでも、武蔵を葬ろうという考えである。そんな吉岡門下と武蔵の対決に、何の関係もない男が、しゃしゃり出てきて立会人を申し出る。将来の宿敵、佐々木小次郎である。小説の中で小次郎は、高慢、軽薄、狡猾なキャラクターとして描かれている。一途な武蔵とは全く対照的だ。

 

吉岡も天下の汚名を晴らすために真剣、100名近い門人全員を相手にたった一人で迎え撃つ武蔵もまた命がけの真剣。そんな闘いに、勝手に立会人を宣言し、その双方を適当にけしかけて、ゲームのように傍観しようとする男が佐々木小次郎なのである。腕ばかりたつが、人間としての成長が伴っていない人物。どの時代にもいそうな危険人物と言える。

 

とにもかくにも、本巻の最大のクライマックスである一乗寺下り松の闘い。弓矢あり、鉄砲ありの、一対百の死闘。今回ばかりは武蔵も死を覚悟した。

「いかにしてこの二度と抱きしめることのできない生命との余儀なき別れにも、そのいのちに意義あらしめるか-価値あらしめるか」

「たとえ二十歳を出ずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとうの長命というものであろう」

「生命だけは終る時、捨てる時が最もむずかしい。それによって、その全生涯が定まるし、また泡沫になるか、永久の光芒になるか、生命の長短も決まるからである」

それでも、後に「二刀流多敵の構え」と呼ばれる、独自の水の流れるような、あるいは風のような戦いで、武蔵はこの戦いを制した。

 

本巻の硬のクライマックスが一乗寺の闘いのシーンなら、軟のクライマックスはお通との再会のシーンだろう。死を覚悟した武蔵は、決闘の前に再会したお通に自身の本心を語る。それによって、お通もまた積年の思いが成就するとともに、自らも死を覚悟する。死闘を制した武蔵は、剣への愛とお通への愛の狭間に悩む己心の闘いをも制することができるのか。

「宮本武蔵」 火の巻

 

 ◆火の巻

 

「火の巻」は、伏見城の築城現場から始まる。
著者、吉川英治のカメラワークは、大河ドラマを見ているように場面が切り変わっていく。秀吉の天下から徳川政権に移行し、徳川ならではの政策が、城普請として展開されている。譜代の心の緩みを規制しつつ、外様の蓄財消耗の狙いもあり、はたまた雇用拡大による景気向上で庶民をも喜ばせる効果もあったようだ。

 

伏見城の土木作業員(石積み)の中には、あの又八がいる。そしてもう一人、武者修行風の男が、その築城の様子を見ながら図を描きとっている。

小説の章タイトルは「佐々木小次郎」。
その武者修行者は、手に包みを持ち、その中に中条流の印可目録を持っている。そこには「富田入道勢源門流後学鐘巻自斎 佐々木小次郎殿」と書かれている。あごや耳の後ろや手の甲にかなりの刀痕がある男・・・この男が、城のスパイ容疑で撲殺されてしまう。

佐々木小次郎って、こんな風貌だったっけ?こんな簡単に死ぬわけないよな・・・不死鳥の如く甦るんだったかな?・・・と、吉川英治のフェイント攻撃にまんまと惑わされてしまう。実はこの男は、実は自斎の甥で、小次郎の「印可目録」を預かって渡そうと旅をしていた天鬼という男。

 

ここでその「印可目録」に目を付けたのが又八。それを盗み、自身が「佐々木小次郎」と名乗り、なりすましで世を渡って行こうとする。この「いい加減さ」が武蔵と対照的で小説を面白くしているところの一つだ。

 

なぜか気になるのは又八の親「お杉婆」の又八に関する過干渉。「この親にしてこの子」なのである(笑)。

 

さて、その後の章タイトル「美少年」のところで、本物の小次郎が登場する。長身でハンサム、背中に「物干竿」と呼ばれる伝家の長剣を背負い、子猿を一匹連れているニヒルな男。ニヒルというより生意気というべきか。舟の中で、吉岡門下の祇園藤次とからむが、小次郎をなめてかかった藤次の頭の髷を、一瞬の刀裁きで斬りおとしてしまう。凄腕である。燕返しのチョイ見せシーン。藤次の恥さらしを知った吉岡の門人たちが数人、看板の汚名挽回を図ろうとするが、予想通り小次郎に軽くあしらわれて逃げ帰る始末。

 

吉岡と柳生の違いを考えてしまう。柳生は、技から心へと磨きをかけて発展して行ったのに対し、吉岡のほうは親の七光りで息子兄弟が遊興にふけり、技さえ錆びついてきている。後継者が人材か否かがポイントだ。

 

一方、武蔵はより高みを求めて、修行の旅を進めるが、途中足を負傷し悪化させてしまう。ストイックな武蔵は、その痛みさえ自身が乗り越えるべき敵とみなす。
「この敵にすら克てないで、吉岡一門に勝てるか。」

そしてそれを信念で乗り越えようとする。
「彼の頑固な信念に、病魔も負けて、幾分か頭がすずやかになった」

「勝つ」と言う事への執念が凄まじい。

 

自信を未熟と認め、雲上の人と仰ぐ柳生石舟斎に対しても、「必ず超える」との一念を一時も忘れない。目前に現れた鷲ケ岳の岸壁を、負傷した足のまま登り始める。鷲ケ岳を石舟斎とみなし、それを登り切って、足で踏みにじってやろうと本気で実行に移す、そういう執念である。「必死」とか「覚悟をする」とかは、武蔵にとっては当たり前のこと。彼が悩むのは、必死の覚悟がもてないことではなく、「絶対に勝つ」という信条をつかむことだった。

 

頂上直前。
「もう一息というところの苦しさは、言語に絶したものだった。それはちょうど、斬るか斬られるか、力の互角している剣と剣の対峙に似ている」

 

鎖鎌の達人・宍戸梅軒(実は武蔵が関ケ原後に撲殺した辻風天馬の弟・辻風黄平だった)との絡みをへて、武蔵は吉岡と約した決闘のため京に向かう。武蔵から吉岡へ出した果たし状は先方の手に届いた。吉岡では、対決の日を年明け一月九日とし、場所は蓮台寺野という高札を五条大橋のたもとに立てた。

 

また、武蔵から又八へ送った「一月一日の朝、五条大橋で会おう」という手紙をめぐって、その内容を知る朱実、お通、城太郎らが集まってくる。そしてまた時を同じくして、武蔵の命を狙うお杉婆の姿もある。吉岡清十郎とつるむ佐々木小次郎の姿もある。皮肉なことに当の又八だけはその手紙の内容をしらされていない。そういう、一人ひとりの人間模様もまたリアルにありがちで面白い。

いよいよ「風の巻」では、武蔵と吉岡の決戦である。

「宮本武蔵」 水の巻

 

 ◆水の巻

 

信長が桶狭間の戦いのおり吟じたという幸若舞「敦盛」の一節、「人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」から「水の巻」は始まる。明日は知れない今日の生命。

 

武蔵の剣にかける人生がスタートした。著者は、この言葉でその武蔵の胸のうちを表現したかったのだろうか。短い人の一生において、可能な限り自らを磨き続けたいと。武蔵は、17歳にして故郷を出、18歳~20歳の3年間、池田輝政の姫路城の天守閣にある一間で学問に専念し、21歳から自ら決めた剣の修行を開始した。

 

京の西洞院四条に吉岡拳法と言う剣の名門があると聞き、門を叩く。自らの剣を試し、さらなる上達のための何物かを得るためである。吉岡道場の門を叩いた武蔵は、「ただ独り山に籠って、樹木や山霊を師として勉強。これという師もなく、流派もない。将来宮本流を立てたい。」と自らを語った。武蔵のやり方は、半ば「道場破り」的な飛び込みによる他流試合方式だ。ただ、そこの看板を取ろうとか、金にしようとか、そういう裏は全くない。純粋に自分の剣を試したい、磨きたいという一心であった。

 

このやり方は、一つ間違えば、命を落とし、クズのように捨てられてしまう。相手は名門、確立された技術があり、実力も実績もあり、さらには名門のプライドもある。普通であれば、勝てる確率はかなり厳しいと考えるものだろう。まさに命を賭した人間錬磨の道と言える。

「将来宮本流を立てる」という大志。大目標の設定、そのための実行計画、勇気と強い意思。ビジネスでも、スポーツでも、勉学でも、はたまた人生全般においても参考にはなる。しかし、武蔵のごとくどれだけ自分への厳しさに耐えうるのか・・・。

 

そしてまた武蔵は、「ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力が、自分で卑下しているほどに拙いものではない」とも感じていた。自らの信念を貫いて、努力に徹してきたことは、自分で考える以上に世の中に通用するという事実も、様々な分野に共通する真理として、努力する者への励みとなる。

 

小説としては、強い相手に挑むハラハラ感と、その相手を一撃で撃破してしまう武蔵の凄腕に爽快感を感じつつ、旅をともにすることになった少年・城太郎に対する兄貴兼師匠としての温かい眼差しもまた爽やかである。

 

武蔵は、吉岡道場で門人をことごとく倒した後、大和路へ向かい、槍で名の高い宝蔵院を目指す。そして宝蔵院でも二代目胤舜不在中に、その高弟阿厳を一撃で下す。一撃で即死と、武蔵の剣はすさまじい。武蔵と阿厳の戦いの前に、武蔵は不思議な老人と出会う。すれ違い様にものすごい殺気を感じるが、その老人はこの戦いの前に、すでにその結果を予測していた。

「阿厳、無駄じゃよ、その試合は。-明後日にせい。胤舜が戻ってきてからにせい。」と。

この不思議な老人は、宝蔵院二代目の胤舜に槍の技を伝授したという奥蔵院の日観という人物であった。武蔵は、初めて自分の実力を超える人物のオーラに恐怖を感じたのである。

 

日観は「おぬしが感じた殺気は、おぬし自身が発している殺気だ。」と武蔵に指南する。また、「おぬしは強すぎる。もう少し弱くなるがよい。」とも。

これが、どういうことを意味しているのか、小説には具体的に書かれていない。日観老僧の武蔵に対する言葉から、自分なりに考えてみるしかない。

「強いが兵法などと考えたら大間違い。-わしの先輩柳生石舟斎様、そのまた先輩の上泉伊勢守殿、そういう人たちの歩いた通りを、これからお身持ちと歩いてみるとわかる」

「ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは、心の修行をすることだ。また、諸国の地利水利を測り、土民の人情の気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか城下から城内の奥まで見極める用意をもって、海内くまなく足で踏んで、心で観て歩くのが武者修行というものだよ」

 

武蔵は、この言葉を聞き、柳生家の大祖・石舟斎に会ってみたいと強く思う。

「死を賭してよい、柳生宗厳に面接して一太刀打ち込まねば、刀を把る道に志したかいもない」

もう隠居している石舟斎と会うために、武蔵は一計を案じる。石舟斎の四高弟との戦いに挑むのである。果たして、その真剣勝負の場に、聞き覚えのある笛の音が・・・。それは、石舟斎のもとに仕えていた、お通の笛の音だった。心を乱した武蔵は、試合を捨てて逃げる。そして武蔵は柳生のもとを去り伊賀路へ向かう。


それを追って、お通もまた柳生を去る。
武蔵の剣の旅とともに、お通の切ないドラマもまた続くのである。

「宮本武蔵」 地の巻

 

 ◆地の巻

 

あの関ケ原の合戦後の、死の骸が転がる荒れ果てた戦野のシーンから始まる。武蔵(たけぞう)と村での親友・又八が、自分たちが「生きている」ということを自覚するシーンから。

 

二人は関ケ原の西軍の雑兵としてこの合戦に、ただ「よい働きをして名をあげよう」くらいの、若さからくる無謀の勢いで参戦していた。武蔵は腕力だけには自信があり、友の又八を誘い出す。一方の又八は優柔不断な性格。許嫁のお通を残し、武蔵とともに軽薄なノリで出てきたのである。

 

ここから主人公・武蔵の人生の転換が描かれていく。優柔不断で苦悩と煩悩に振り回される又八は、名わき役である。武蔵は、敗軍の残党として、徳川の追手から逃げ伸びて、故郷の宮本村へたどり着く。そしてそこで村の人々とのドラマが展開される。

 

武蔵の父は、かつて兵学の指南役として新免家に仕えていた。姉のお吟は、その父の娘として凛としている。又八の許嫁・お通は、みなしごとして寺に預けられて育った清純な女性。寺の住職・沢庵は、若いけれども仏教に基づくしっかりとした哲学と信念を持っている。

 

徳川の追手・青木丹左衛門は、徳川方・姫路城主の池田輝政の家中だが、武蔵捕獲のため宮本村に入り、村人への迷惑行為を繰り返す。

「領主に仕えて忠、民に接して仁、それが吏の本分ではないか。しかるに、農事の邪げを無視し、部下の辛苦も思いやらず、われのみ公務の出先、閑をぬすみ、酒肉を漁り、君威をかさに着て民力を枯らすなどとは、悪吏の典型的なるものじゃ」と三十代の沢庵が、四十超の青木を説教してやりこめる。

世相に対する風刺を登場人物に語らせる小気味よさあり、またそれによる登場人物のキャラクター作りはさすが天才的だ。

 

青木にはどうしても捕獲できない野獣のような武蔵を、沢庵が、自分が捕獲するから、その武蔵の事後処置は自分に任せろと提案し、その交渉が成立する。

沢庵「さ、ここで陣を布くのだ。さしずめ敵の武蔵は魏の曹操、わしは諸葛孔明というところかな。」

沢庵は、武蔵を捕え(というより最後は武蔵が沢庵に身をゆだね)、それにより武蔵は、野獣のような人間から、本来の人間として生まれかわっていく。

沢庵「たとえば、おぬしの勇気もそうだ。今日までの振舞は無智から来ている命知らずの蛮勇だ。人間の勇気ではない。武士の強さとはそんなものじゃないのだ。怖いものをよく知っているのが人間の勇気であり、生命は惜しみいたわって珠と抱き、そして真の死所を得ることが真の人間というものじゃ。」

 

沢庵の一言ひとことが武蔵の心に刺さる。そして読者の心にも刺さる。

あまりにも小さな自分とその敗北の人生を心の底から実感した武蔵は、再び、本物の人生を生き直したいと思う。

 

武蔵

「俺は今から生まれ直したい。人間と生まれたのは大きな使命をもって出てきたのだということがわかった。」

「俺は生きたぞ」と強く思い、同時に「これから生まれ変わるのだ!」と信念した。

「その人間になろうと思い立った途端に、俺はなにものよりもこの身が享けている生命というものが大事になってしまった。-生まれ出たこの世において、どこまで自分というものが磨き上げられるか-それを完成してみないうちに、この生命をむざと落してしまいたくないのである。」

 

池田輝政とお茶友達の沢庵は、輝政と交渉し、姫路城の天守閣にある開かずの一室を、武蔵の幽閉場所として借り受け、そこで三年間、武蔵を学問に専念させる。武蔵の剣に「護り」や「愛」の要素が加わり、武蔵の人生に「哲学」や「道徳」の要素が芽生えた瞬間であっただろう。

 

一方、武蔵の命を救ったもう一人のお通は、自分の心に正直に、武蔵と一緒に人生を歩みたいと思う。武蔵の幽閉の三年間をずっと城下の花田橋で待ち続けていた。待ち焦がれたやっとの再会の日は、武蔵が一人、剣の修行の旅に、そして新たな人生に踏み出す強い決意をしたその日だった。

「これに生きよう!これを魂とみて、常に磨き、どこまで自分を人間として高めうるかやってみよう!」

お通の心を感じる武蔵は、断腸の思いで、お通をおいて旅に出る。橋の欄干に刻まれた「ゆるしてたもれ ゆるしてたもれ」の文字がとても切ない。