やっと週末。今日も朝のウォーキングを兼ねて、借りていた本を返すために図書館までウォーク。午前中に少し降ったのか、畑の土の上ではうっすらと白いベールが。
司馬遼太郎の短編集「馬上少年過ぐ」には、4つの短編が収められている。
「馬上少年過ぐ」
「重庵の転々」
「城の怪」
「貂の皮」
タイトルだけおっても、誰のことが書かれたものなのかは想像できないな。もっとも歴史通の人なら、これだけの言葉をキーとしてピンとくるのかもしないが。恥ずかしいことに、最後の「貂」の文字は、どう読むのかさえわからなかった(苦笑)。
今日のところは、最初の「馬上少年過ぐ」を読み終えたところ。読み終えて、これが伊達政宗の話だと知った。本書にも引用されている、伊達政宗が詠んだこの詩が本書のタイトルとなっている。
馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん
政宗が晩年に自身の人生を振り返って詠んだ詩だそうだ。
まず何といっても漢詩を読める政宗、カッコイイというのが最初の印象。
司馬遼太郎は、詩を詠んだ武将として、三国志の曹操の名前と併記し、才知と行動力の武将として共通点があると述べていた。
政宗は、幼少期は決して恵まれていなかった。疱瘡を患って片眼を失ったことも不幸だが、それを醜相として母親から疎んじられたことのほうが本人にとってはもっとつらかったのではないだろうか。そういう幼少期の辛い時代を耐えて、育った政宗は強い精神力を持ちながらも、反面クールに育ったのかもしれない。
本稿には、18歳のときの初陣の模様が書かれていた。初陣の故に敗北しそうになるが、「どうせ死ぬのなら」と開き直って陣を立て直し、最終的に勝利で飾った。その際に敵方の女子供も含め全滅にしたとあった。また敵方に父親を人質に取られた政宗は、父親の命を犠牲にしてまでも、敵のせん滅を選択した。あまりにもクールすぎる。
秀吉や家康がいなければ天下を狙えた実力者だが、そこまでたどり着けなかった自分の人生を振り返って、「まぁ、こんなもんかな。若いころは無茶苦茶やったもんだ。まぁ、こうして乱世を生き延びてきて、もうそろそろ頭も白くなってきたし、これから先は人生を楽しむことに費やすこととするか」と詠ったのだな。