宮城谷「三国志」 キャストがずらり勢ぞろい
久しぶりのブログ更新。
通勤本の宮城谷「三国志」第二巻を先日やっと読み終えて、今朝もう一度ななめに、振り返りの通読をしてみた。そうでないと、前半部分がまったく思い出せなかったからだ(苦笑)。
第二巻は、後漢第8代皇帝の順帝の后であった梁太后の摂政としての政務の場面から始まる。順帝が崩じた後、9代沖帝、10代質帝の摂政として政務を執っている。この時代は女性による摂政が多い。政務といっても、現代の政治とは違い、幼い皇帝の面倒を見るというようなことも政務の中には含まれているのだろうかと思ったりする。
梁太后には、李固という有能な側近がおり、実質的には李固の補佐によって、善政が維持されていたといってもよい。
一方、梁太后には梁冀という弟がいたが、これがとんでもない悪玉だ。姉の権威を笠に着て成り上がり、誰も求めていないのに勝手に政治に首を突っ込み、ついには己の利益のためだけの暴政を操るようになる。その梁冀が自身の権力増長のために利用したのは宦官だった。逆に宦官は、甘い汁をすすりながら、上手に世渡りをしていくために、権力をもつ梁冀にすり寄る。悪は悪と結託する。
こういう世相を憂う良識ある人物が度々現れては上奏するが、悪が善を駆逐する構造ができ上ってしまっている。上奏も宦官たちに握りつぶされてしまい、逆に排斥される結果となる。
こういう構造は、現代社会にも必ず存在するだろう。悪と戦うためには、善の勢力もかなりのパワーが必要だ。
こうして、梁冀の暴政はかなり長いこと続く。物語もそのような不快でつまらない時代の解説が続くため、第二巻の前半はかなり退屈だ。ずっと忍耐の読書だ(笑)。
梁冀は、自らの利用できる桓帝を擁立するが、ひょんなことからこの桓帝に誅殺されてしまう。梁冀を葬った桓帝はヒーローかと思いきや、そうではない。桓帝もまた五十歩百歩、似たり寄ったりだ。
そもそも桓帝は好色で、自分の最愛の女性を排斥しようとした梁冀に逆切れしただけの話だ。その後も、桓帝は宦官を高処遇とするなど、ほとんど様相は変化せず暴政は継続するのである。
このような政権下で、人びとが満足するはずはない。こういう世の不満・ストレスがついに爆発した。それが黄巾の乱だ。太平道という教えを奉ずる張角と言う人物が、各地で信者を拡張し、一気にものすごい勢力と化していく。そのなかには、太平道の信者だけでなく、さまざま不満分子が混ざり込んでいただろう。
このようなまさに乱れに乱れ切った時代の中で、劉備玄徳、曹操、孫堅がほぼ同じ時に誕生するのである。そこからまた20年ほど遅れて、司馬懿仲達が生まれ、諸葛亮孔明が生まれるのである。劉備玄徳は、張飛や関羽との出会いを果たすのである。