気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」

f:id:as-it-is:20190805180531j:plain

 

今日は、我が家の自閉症の次女が施設の合宿旅行に出発した。二泊三日の旅だ。

やはりイベントの前、メチャメチャ緊張していたようだ。自分で自分を励まそうと、普段の何倍も言葉数が多い。でもバスに乗り込んだら、楽し気に手を振って出発した。

 

私はサラリーマン、次女は施設通いで、毎日顔を合わすのはたいてい私の帰宅時だが、彼女は決まってPCの前を陣取り、ユーチューブの閲覧を楽しんでいる。毎日、同じ映像を何度見ても全く飽きることはないし、驚くのはユーチューブのスケールで、何分何秒あたりでどの映像を見ることができるのかを覚えているものもある。知的障害で字を書いたり読んだりできないのに、流行りの歌を完ぺきに歌えたりもする。

 

自分の子どもであるのだけれども、健常な自分には本当にわからないことが多い。分かったつもりでいても、全然わかっていない。

 

そういうこともあって、この本を読んでみようと思ったわけだが、読んで驚きがあった。おそらく、自閉症の家族がいる家庭においては有名な本だと思うが、「多様性の時代」というなら、どんな人にもできるだけ多くの人に読んでもらいたい本であると思う。

 

 
先日、帰宅電車の中で、大きな声で独り言を話し続けている青年がいた。恐らく知的に障害があるのだと思う。長く通勤をしていれば、そういう場面に出会うことは何回かあるはずだ。
 
彼の前に一人の男が立った。すると独り言を話す青年の言葉がピタリと止まった。そして立ち上がって、逃げるようにとなりの車両へ移動しようとした。そしたら、その前の男が、独り言の青年をにらみつけて、追い払うような行動をとったのだ。頭にきた私は、その男の目を逆ににらみつけてやったら、そそくさと次の駅で降りた。
 
確かに無知な人からすれば、独り言や突然の叫び声や飛び跳ねる行為は、奇怪に見えるのかもしれない。我々自閉症の子供をもつ親としては、他者への迷惑は気になるし、子どものことを恥ずかしく思い、口を手で押さえたことも何度もある。
 
だが、独り言を何度も繰り返したり、叫び声をあげたり、飛び跳ねることには、理由がある。そのことを知れば、全く許せるようになるだろうし、「どうぞどうぞ」という気持ちになるはずだ。
 
本書の著者、東田君は自閉症だが、トレーニングにより自分の気持ちを表現することができるようになった。ある意味奇跡的な人物である。世のすべての自閉症者の代弁者である。
 
東田君は自分が感じるままに自閉症の生きづらさを語り、自分の行為の理由を語っているのである。その語りの内容を読んで、自分の子どもの行為と照合しても思い当たることが多く、「そうだったのか」と納得するばかりであった。
 
わかればわかるほど彼らの苦労は健常者の何倍も大変なものであり、それと常に戦って生きているのだと思うと尊敬の気持ちさえ湧いてくる。東田くんは、健常者と同じかそれ以上に、様々なことに対しチャレンジしたいという心を持っていた。ただ、そうは心で思っていても、自分の体がいうことをきかないという現実もある。しかし、決してつらい環境に負けることなく、常に人生にチャレンジしていた。
 
 
障害ある人は、健常者に比べてできないことが多くとも、チャレンジと言う点では、はるかに健常者を超えていると実感できた書である。
 

 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)