生きるぼくら
この本の読了後の感想を述べよと言われたら、「とても感動した!」という言葉となるが、その中身は一言では語りつくせないものがある。目じりに涙をにじませながら、最後のページを閉じたが、そういう感動も、読む人それぞれの立場で異なる種類の感動があるのではないかと思う。
「引きこもり」の青年の話。名前は「麻生人生」。
このツカミの部分で、ひょっとして「モサイ小説では?引きこもりの主人公に『人生』なんて名前をつけるような小説、なんか安っぽいんじゃないの?マハさん、たくさん本出されているから、あまりの忙しさに手抜きした小説なんじゃないの?」って最初は疑いの気持ち半分で読み始めた。
「中には、引きこもり歴二十五年なんていう筋金入りの引きこもり職人みたいなのもいる」とか、「人生がろう城する四畳半」なんて表現にも正直すこし反発感じた。
好き好んで引きこもっているわけでなく、病気だとか、どうしようもなく25年生きづらさに耐え続けているという人だっているだろうに、「馬鹿にしてない?」と思ったのも事実。
しかしそこを越えて、だんだん著者のシチュエーション設定を読み進めていくうちに、話の展開にどんどん飲み込まれていってしまった。引きこもり生活、その原因となったいじめのシーン、母親の突然の失踪をきっかけに部屋を出るシーン、蓼科へ向かう中央線、、、とマハさんの文章は、次々と映像をくっきりと浮かび上がらせていく。
この物語には、たくさんのテーマが込められている。
いじめのこと、引きこもりのこと、親の離婚や母子家庭、父子家庭のこと、経済苦のこと、独居高齢者のこと、過疎地の農業事情のこと、老後のこと、介護のこと、認知症のこと、闘病のこと、就活のことなど、著者は昨今の社会問題として扱われるようなテーマをこの物語に盛り込んでいる。
誰もが幾つかは身近に感じるようなテーマを取り上げて、一つ間違えば悲惨に陥りがちなこれらのテーマを、なんと心温まる気持ちの良いドラマに仕上げたのだろうと、著者
「自然と、米と、人間とーぼくらは、みんな、一緒に生きているんだ。そんな思いを胸に、人生は、一束一束、心をこめて稲を刈った」
人生、つぼみ、マーサばあちゃん、志乃さん、純平、登場するメンバー全員が、自然の中での米作りを通じて、人間性を取り戻し、疲れた心を晴々とした心に蘇生させていく。心が通い合っていく。
みんな一緒に生きている、、、「生きるぼくら」。
雑草も害虫も全てを生かすマーサばあちゃんの稲作、苦労を乗り越えた末に収穫した暁にのみ得られる、他の方法では決して得られない最高の味。
現代社会の縮図のようにも感じられる。失いかけている何か、忘れかけている何かを思い出させてくれるような。
この本を読んだ後、様々な社会問題について、意見交換をしてみるというような、教材としても活用できそうだ。「純平の生き方についてどう思う?」とか、「人生は何に気づいたのだろう?」とか。「介護の在り方はどうあるべきだろう」とか。
最後に、人生の母ちゃん、イキイキとした息子・人生の姿を見て、どんなに嬉しかっただろうと、人生の母ちゃんの立場で、また感涙してしまったのである。