新年 初読みは「坂の上の雲(1)」の「海軍兵学校」の章
2020年が明けた。
ブログの習慣化は、昨年から続く今年の目標だが、ともかく「何か書く」というのを目標としたい。気ままな読書ライフの記録なのだから。
さて正月、お昼から酒が飲めて、つまみに事欠かないのが嬉しい。
飲んで、いつの間にかぐっすり昼寝をしてしまい、夕方頃目覚めて頭もスッキリ。読みかけの「坂の上の雲」第一巻の「海軍兵学校」の章を読む。
秋山兄弟の兄・好古は陸軍へ、そして弟・真之は海軍兵学校へ入校した。
この兄弟、二人とも非常に優秀だが、弟・真之も入校時こそ15番めの成績で入ったが、その後2年目からはずっと首席だったようだ。彼の特徴は、試験でのヤマカケが得意だったようだ。そのヤマをはるときには、教官側(つまり試験問題を作る側)の立場でヤマをはったと書かれており、しかもその的中率は高く、周囲の同僚からもそういう面でも頼られる存在であったようだ。
まだ、日露戦争での彼の活躍模様は未読でわからないが、このようなところでも、すでに才能の片鱗が見えているようにさえ思える。高い角度から物事を観る視点や、直感の鋭さなどは、戦いの場面では必須の才能であると思われる。
真之の入校時の挿話として、東郷平八郎のことに触れられていた。当時は、東郷平八郎は、新任の大佐として、軍艦「大和」の艦長であったらしい。
もともと薩摩藩士で、戊辰戦争に出征した際の宮古湾海戦で、あの旧新撰組副長・土方歳三の海上突破隊を撃退したというエピソードが記されていた。幕末からの延長線上にある物語なのだなと実感できた。
当時は、陸軍も海軍も海外の軍隊の様式を取り入れていたが、陸軍と海軍とで取り入れ先が異なっていたようで、明治3年の政府布告では、海軍は「英式」、陸軍は「仏式」とされていたようだ。
ところが、このときフランス軍がプロシア(ドイツ)に宣戦して、大負けした。
プロシア軍の勝利はビスマルクによる勝利であり、その時の参謀総長・モルトケの戦略戦術の勝利と言われたことから、プロシア軍の戦略戦術が日本軍に取り込まれた。
兄・好古が陸軍で師としたのが、そのモルトケの戦略戦術を日本に伝えたメッケルだった。後に「日露戦争の作戦上の勝利はメッケル戦術学の勝利」と言われることになる。
真之の海軍兵学校は築地から広島県の江田島に移転されることになる。真之にとっては、故郷愛媛の近くとなり、この章では帰郷時の様子が描かれていた。帰郷時の真之は故郷の英雄的青年であり、その姿にあこがれていた少年の中に、将来の俳人・高浜虚子や河東碧梧桐がいた。
この真之帰郷時、兄の好古は日本にいなかった。渡仏していたからである。
旧藩主のフランス留学のおともで、渡仏することになったが、フランス軍に勝るドイツの戦略戦術を学んできた好古にとっては、この渡仏は自身の意思に反するものであり、この時点で彼は陸軍における栄達にあきらめを感じたようである。
今日の「読書日記」は、このあたりまで。