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感動!「ベートーヴェンの生涯」

 

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

 

 

これは、久々に感動の良書であった。しばらく書棚に積んだままだったが、もっとさっさと着手しておくべきだった。

 

ベートーヴェンの生涯」、「ハイリゲンシュタットの遺書」、「ベートーヴェンの手紙」、「ベートーヴェンの思想断片」と続き、付録もある。その付録の中には、著者ロマン・ロランが行った「ベートーヴェンへの感謝」と題する講演記録と、本書の翻訳者片山敏彦氏による「ベートーヴェンの『手記』より」が収められている。

 

表紙にこうある。「少年時代からベートーヴェンの音楽を生活の友とし、その生き方を自らの生の戦いの中で支えとしてきたロマン・ロラン(1866-1944)によるベートヴェン賛歌。二十世紀の初頭にあって、来るべき大戦の予感の中で自らの理想精神が抑圧されているのを感じていた世代とってもまた、彼の音楽は解放の言葉であった。」

 

ベートーヴェンの生涯」は、その「序」とする文において、25年前の1902年に書いたものであると著者は述べている。つまり1902年にすでに書かれていたベートーヴェンの生涯」に、序文を加え1927年(すなわち、ベートーヴェン没後100年目)の3月に再度発表されたものということだ。

 ※ベートーヴェンの生涯は、1770年12月16日~1827年3月26日。

 

その序文の中で、ロランは、「今、ベートーヴェン百年祭にして、生きること死ぬことを私たちに教えてくれた彼、簾道と誠実との「師」ベートーヴェンーあの偉大な一世代の人々のために「伴侶」であってくれたベートーヴェンをほめる私の言葉に添えて、あの一世代への追憶を記念する」と記されている。

 

ここにいう「あの偉大な一世代」とは、表書きの言葉から、二十世紀当初の大戦、すなわち第一次世界大戦に巻き込まれた世代を指しており、その彼らもまたベートヴェンの楽曲を伴侶とし、自らの抑圧された精神を開放することができたのだろうと著者は追憶を記している。

 

ベートーヴェンの生涯が波乱万丈の人生であったことは世に知られていることである。本書の中でもその生涯について一通り語られている。

 

貧困な家庭に生まれ、暴力伴う父親の過度な音楽教育の幼少期を過ごし、17歳にして最愛の母親を失い、酒飲みの父親に代わって一家(2人の弟たち)を養い、22歳で生まれ故郷のボンを離れ、ウィーンにて音楽活動を行うも、若干26歳にして腸を患い、また耳鳴り、難聴から30歳の頃にはすでにほとんど聴力を失ってしまうことになる。

 

しかし、その後もその状況のままで、作曲活動に取り組み、途中テレーゼと熱烈な恋愛をし、そして身分差等による理不尽な失恋に失意のどん底に落ち、それをも音楽の糧として作曲活動を続け、1824年5月、54歳のときにあの世紀の「第九交響曲(合唱付)」を生み出し、1827年3月26日に57歳の生涯を閉じたのである。

 

ロマン・ロランによるベートーヴェン賛歌。この激しいベートーヴェンの生涯に対し、ロランは語る。以下、主だった文章を抜粋した。

 

「第九交響曲は気狂いじみた感激を巻き起こした。多数の聴衆が泣き出した。ベートーヴェンは演奏会の後で、感動のあまり気絶した。」

 

「依然として彼は貧しくて病身で孤独であった。とはいえ彼は今や勝利者であった。彼は人々の凡庸さを征服した勝利者であった。自己自身の運命と悲哀とに打ち克った勝利者であった。」

 

「かくて彼はその全生涯の目標であったところのもの、すなわち歓喜をついにつかんだ。」

 

「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれた人間が自ら歓喜を作り出すーそれを世界に贈り物とするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す。そのことを彼は次の誇らしい言葉によって表現したが、この言葉の中には彼の生涯が煮つめられており、またこれは、雄々しい彼の魂全体にとっての金言でもあった。-「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」

 

「ハイリゲンシュタットの遺書」は、甥のカルルと弟のヨハンに宛てた遺書の意味を込めた書簡である。その中でも、次の「ベートーヴェンの手紙」の章で紹介されている親友への手紙の中でも、悪化していく自身の病状への憂い、運命との格闘、希望、そして自身の音楽における使命について語るベートーヴェンの思いを素肌で感じることができる。

 

「たびたびこんな目に遭った私はほとんど全く希望を喪った。自らの生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。-私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が栄を自覚している仕事をし遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。」

 

「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」

 

「ブルタークの本が僕を諦念へ導いてくれた。できることなら僕は運命を対手に戦い勝ちたい。」

 

「僕は運命の喉元を絞めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。-おお、生命を千倍生きることは全くすばらしい!」

 

圧巻は、ベートーヴェンへの感謝」と題するロランの百年祭での講演。これは文章全体が感動であり、ここへそれを書きつくすことはできない。ロランは、ベートーヴェンのすべての楽曲にも精通していて、もしその部分にも詳しい読者であればその感動はさらに大きなものとなるだろうと思う。

 

自分は全くの素人であるので、ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているものについて語るロランの言葉により、ベートーヴェンの偉大さをようやく感じることができたレベルで、今後そのことを念頭に、もう一度ベートーヴェンの楽曲を聴いてみたいなと今思っているところだ。

 

ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているもの。ロランはこう語っていた。

「すなわちそれは二つの要素の間の闘い、広大な二元である。この事は、ベートーヴェンの最初の作から最後の作に至るまで表れている。(中略)しかしながら、ベートーヴェンの気魄のー灼熱せる、勝手気ままでしかも逼迫せるこの嵐のごとき気魄の統一そのものの中に、一つの魂の二つの様態、ただ一つのものである二つの魂があるのである。それらは結合し、また反撥し、論争し格闘し、互いに身体を絡ましあっているが、それは戦いのためともいえるし、また抱擁のためともいえる。不均衡な二つの力であり、また心の中で不同に発言する二人の敵手がそこにいる。一方は命令し抑圧する。他方はもがき呻く。けれでもこの二人の敵対者らは、征服者と被征服者とは、ともに同様に高貴である。そして、これこそが重要な点である。

 

(中略)ベートーヴェンのこの戦いとは、魂と運命との間のそれである。(中略)彼の書いたの中にこの事はたくさんある。

 

ベートーヴェンは、自身の人生におけるすさまじい運命と、それに打ち克とうとする強烈な魂と、その壮絶な格闘を楽曲の中に込めているということだろうか。しかし、そうであるならば、それができるのは、この人生でこの格闘を貫いてきたベートーヴェンただ一人だと思われる。

 

彼は聞こえなくなった耳で、神の声(音)を聞き取れるようになった。彼は、音楽は啓示を越えるものだとい言っていた。彼は、そうして生み出した楽曲を、人々に伝えることを自分の使命と考えた。貧しい人、悩める人に歓喜を与えるための曲を作ることを使命として生き抜いた。自身の境遇の苦悩から、人々の歓喜を生み出した。

 

先に「第五交響曲(運命)」を生み、そして最後に「第九交響曲」の歓喜の歌を生み出した彼自身の人生そのものがそれであるなとも思われた。

 

そういう人生を貫いたベートーヴェンの生きざまに改めて感動し、他の作曲家と一線を画した超人的な芸術家ベートーヴェンを再発見した感覚である。