気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「ソクラテスの弁明」をマンガで読んでみる

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昨日のみぞれっぽい雪がちらつく天気に打って変わって、今朝は太陽の日差しが暖かい。昨日お休みした朝ウォークだが、今朝は気持ちよく出かけることができた。先週は、このコースの左手、狭山公園の風景を撮ったが、今朝は右手の多摩湖側の写真をとってみた。前回と今回でちょうどセットのようになる。

 

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続いて、いつものコース。芽吹いて開花の準備はできているものの、まだ咲いていない桜のコース。若干登坂で、フクラハギの筋肉を伸ばすのによいコース。

 

マンガで読む名作 ソクラテスの弁明
 

 今日は、先日読んだ「マンガで読む名作 ソクラテスの弁明」の感想日記。

 

最近の新型コロナウィルスの影響で、自治体の図書館も閉館が多い。TVの特集番組では、「図書館で感染する確率は低い」とされていたが、やはり人の集まるところということで、図書館を閉鎖している自治体は多いと感じる。

 

それでもコストをかけずに本を読もうと考えると、Amazon unlimitedが有効だ。最近、Amazon unlimited名作のマンガ版シリーズをみつけたので、マンガでどれくらいの満足度が得られるのかを試してみるつもりで読んで見た。

 

過去に読んだことのある「ソクラテスの弁明」を読んで見た。といっても随分過去に読んだので、緻密に内容を覚えているわけでもない。しかし、読んで見て、意外と迫力があり自分では好印象であった。原作を読んでからこちらを読むもよし、原作を読む前にこちらを読むもよし、はたまたマンガだけで済ますもよしと感じた。

 

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ペロポネソス戦争アテナイがスパルタに敗北した。その敗因は誰にあるのか?-主戦論を唱え、不利になるや否やスパルタに走ったアルキビアデス。
アテナイを恐怖政治に陥れたのは誰か?-市民1500人を処刑した、三十人僭主制の首領・クリティアス。
その二人を教育した諸悪の根源は誰か?-ソクラテス
 
こうして、ソクラテスは民衆裁判所に引きずり出される。
告発者は3名。弁論家リュコン、詩人メレトス、政治家アニュトス。
市民500人が裁判官であり、議長を加えた501人の投票により判決が下される。
 
最初に告発者メレトスが弁論を行い、それに対しソクラテスが対抗弁論を行う。
そもそも、先の3名の告発は、恨みによるものであった。ソクラテスが真の賢者をもとめて対話をしていたときに、賢者ぶっているだけの存在であったこと暴露され、それを根に持ち、でっちあげの告発を行った。
 
ソクラテスの弁明により、一つひとつ矛盾点が明らかにされていく。そして、その判決結果はいかに?
告発者の一人アニュトスは、ニヤリと笑いつぶやく。
ソクラテスは決して媚びない。そして正しいことを誰かれ構わず押し付ける。相手がどう思おうとお構いなしにな・・・。だがそうれでは、この国の市民参加の民主裁判には勝てないということだ・・・。
 
結果は221票対280票で「ソクラテスは有罪!」
「正義が必ずしも勝つとは限らない」というのは、今の世も同じ。真実を見極めることができた市民と、見極めることができなかった市民。その幸・不幸について、このあとソクラテスはそれぞれに訴える。
 
次の刑を決める裁判では、140票対361票で、「ソクラテスは死刑!」
真実を述べた者が死刑に処されるという矛盾。ソクラテスの幼馴染クリトンは、処刑までにソクラテスに逃げることを提案する。(これは「クリトン」という作品)
しかし、ソクラテスは正しい裁判の手法に則って下された判決に従わないのは、法律を破ることであるとして、最後は死刑の宣告に殉じ、毒杯を仰いだ。(これは「パイドン」という作品)
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本書は弟子プラトンの著である。プラトンは、当初、師のソクラテスに「政治家になりたい」と思いを語ったことがあるが、師の死後、「政治家になることより、正しい政治を行える世の中を作ることが大事である」ということに気づき、師の遺志を継ぐことを決意するのである。
 
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今回マンガで読んで見て、正義を貫くことの偉大さを感じ取ることはできたものの、告発者アニュトスの老獪さのほうに意識がいってしまった。「正義が必ずしも勝つとは限らない」ということは、古今を問わず存在する。
 
「歴史は勝者によって塗り替えられる」という側面があり、いくら正しくとも負ければ、悪者とされてしまうことが多い。ソクラテスが現在、偉大な哲人として認められているのは、プラトンという弟子が、師ソクラテスの正義を守ったからということが大きい。
 
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意外とマンガもいけるが、はやり読み手の想像の膨らみがない。書かれた画像で、固定的な理解となってしまうのは否めないな。