雑談:上石神井ツアー
M氏との待ち合わせ場所は、上石神井の中華料理店「一圓」であった。
介護のスクールで同じクラスになり、1月中旬の最後のクラス以来久々の再会である。お互いに就職先がきまったということで、その情報交換も兼ねて、久々に会うことにしたのだが、昼ということもあり「駅近の中華料理で昼飯でも」と申し出たところ、上石神井在住のM氏から「一圓」の指定があった。
一昨年前に西武沿線に引っ越しをしてきて、それほど沿線地理には詳しくなく、上石神井に下車したのも数回しかないので、この「一圓」の存在も当然知らなかった。少し早めに到着し、なぜかこの日突風が吹き荒れる中、店の軒先に立つこと5分、長身のM氏が現れた。
好きなタイプの中料理店である。名物がジャンボ餃子とのこと。
自分は中華料理店は、チャーハンの味でリピートするかどうかを判断したいタイプであるので、さっそくチャーハンにその名物のジャンボ餃子3個というのをつけて注文した。
M氏曰く「食えますか?大丈夫ですか?」
これはネットに転がっていた写真を拝借したが、まったくこれと同じものが運んでこられた。ジャンボ餃子の皮は分厚く、肉まんのようでもある。3個入り餃子といっても、肉まん3個食っているような重量感だ。そして、チャーハン。
見た目、キレイな半球体ではなく、ばらついた感じが、平日ランチタイムの忙しさを物語っていたが、このヤマが食えども食えどもなかなか減らない。自分はついに途中リタイアしたが、周囲のガテン系若手の面々や、ガッツリ系サラリーマンの面々が勢いよく平らげる姿からは、コロナ不況もなんのその的なパワーが感じられた。
ところでこの「上石神井(かみしゃくじい)」というのは読みにくく、書きにくい。特に書くとなると「上」と「神」がこんがらがって、わからなくなってしまう。この地名についてちょっとwikiなどで調べてみたところ、ここには城跡があり、もと豊島氏という一族の所領であったことが書かれていた。
豊島氏の誕生は、平安時代にさかのぼるようで、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代と各時代の歴史を彩る一族であったようで、その発祥は「東京都北区豊島」と書かれていたのには少々驚いた。
また、その支流、分家として、葛西氏、赤塚氏、志村氏、板橋氏、滝野川氏、練馬氏、小具氏、平塚氏、白子氏、庄氏があると記載されていて、ついこの前まで板橋区に在住していた自分は、地名がこの豊島氏の分家の名前から由来していたということを知って、「そ~だったんだ~」と非常に興味深く読んだ。
このことを上石神井在住のM氏に確認してみると、やはり歴史通のM氏は当然のように知っていた。さすがである。
そのあと、石神井城跡を見てみたいと思い、城跡がある石神井公園を案内してもらったが、結局、缶ビールの誘惑に負けて、城跡は見ることなく、公園内にあるアズマヤに入った。座敷があって、くつろげるスペースがある。地元のおじさんがすでにワンカップでいい気分になっていた。空気が素通りし、新型コロナウィルスの感染リスクは非常に低そうである。
一番搾りそれぞれ一缶と、柿の種でしばらく談笑したが、この23区内にある不思議な異次元のスペースは、なかなかオツな空間である。
上石神井の数時間ツアーはなかなか面白かった。