気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

雑談:一丈のほりをこえぬもの十丈・二十丈のほりをこふべきか

これまで事務職一本で来たが、60歳の定年退職年齢を迎え、一大決心をし第二の人生を「介護職」で行くことに決めた。親の遠隔介護である程度の概要については知識としてしっていたものの、実際の業務につくのは全くの初めてであり、第二の人生は「新たな人生勉強」の開始となる。

 

第二の人生の選択方法はいろいろな考えがあろうが、一つは「人」とか「生きる」とかいうことについて、直接関わる仕事をしようと考えた。もちろん、介護職の現状は処遇の面で厳しいというのが一般的な認識で、事実そのとおりであると思うが、経済面についてもこれまでの「寄らば大樹の陰」的な依存的姿勢から、「自己解決」的な自立的姿勢へ転換した。

 

ところが、めでたく就職先が決定し、就業までの期間に体調を整えておこうと思って、事務職時代から気になっていた腰痛と、持病の不整脈について、療養施設や医療機関に出向くことにした。

 

腰痛については、本を読んだほか、整骨院、鍼治療、整形外科と受診した。それぞれにその治療の特長面では効果を感じた。とくに、東洋的治療と西洋的治療の違いそのものにも興味を感じながら治療に身をゆだねていた。

 

一方不整脈については、雇用前検診でも症状が確認されていたが悪性のものではないとのコメントであり安心はしたが、けっこう頻発するのが気になっていた。

 

この二つの症状は、これから従事する「介護職」に対して、少々不安材料である。にも関わらず治療が体に合わないのか、いずれもなかなか効果が見られず、「就職先を決めたまま就業を断念しなければならないのでは」という選択肢も頭をよぎった。

 

少し前に決めた目標「4月1日からは完璧な健康体で出社する」が果たせるのか否か。

果たせなければ、新型コロナウィルスの影響以外の、全くの自己責任で家庭の経済が追い込まれていくことになる。経済的「自立」姿勢を選択した、最大の試練がさっそく訪れたのだ。

 

仏典に「一丈のほりをこへぬもの十丈・二十丈のほりをこうべきか」という御文がある(日蓮大聖人・種種御振舞御書)。「たった一丈の堀が越えられない者に、どうして十丈や二十丈の堀を越えることができようか」という意味である。

 

鎌倉時代、自然災害が多く旱魃が続いて民衆があえいでいた折、日蓮日蓮に敵対する極楽寺良観が雨乞い対決をしたときの日蓮の言葉である。

 

当時高僧として幕府や人々から最高の信頼を獲得してた念仏僧良観が、雨を降らせる祈祷を行うこととなったのに対し、日蓮は「誤った祈りで雨など降るはずがない。七日以内に雨が降ったら自分は良観の弟子になろうではないか。その代わり降らなかったら、良観は自分の弟子になれ」と雨乞い対決を申し出た。結果、七日では一滴も雨が降らず、もう七日間延長の泣きを入れたがそれでも雨は降らず、さらに再度延長を申し出るが雨が降るどころか暴風が吹き荒れるだけ」の結果であった。

 

その際に、日蓮極楽寺良観に言った言葉がこれである。

 

自身も最後は、信仰の力によりなんとか先の目標を達成できたように感じる。今回ばかりは、医療等の効果が見えなかったため、最後の手段の信仰の力と自己治癒力に委ねるしかなかったが、なんとか「一丈のほりをこえることができた」感触がある。

 

もちろん祈っているだけで効験が現れるというような神秘的、非科学的なことが起こったのではない。その間に、TV番組の「くねくね体操」というのに出会い、それを応用した自己体操が腰痛の改善に効果を表したとか、「不安のスパイラル」に陥らないよう自身のメンタルコントロールができたことなどが改善要因に少なからず影響していると考えられる。

 

「くねくね体操」は腰を左右に振るだけの単純なものだったが、例えばリー・モーガンの「アウトサイダー」をBGMに腰をリズムに合わせて振るなどで、随分腰回りが軽やかに回るようになった。リズミカルな体操は非常によいと感じた。

 

さて、一丈のほりを越えて初日出社から3日間の勤務を無事こなしたものの、事務職から介護職への職務スタイル変更は、健常な体でも腰への負担は大きい。まだ介助などによるハードワークはないのであるが、突っ立ってるだけでもこれまで使っていなかった筋力必要とするようである。もともとの腰痛の種を抱えたまま、新たな筋肉痛を付加し、この3日間はけっこうな試練であった。幸い業務中に変な不整脈も発生していない。やっと二丈目を越えた感覚である。

 

まだまだ、十丈、二十丈は先にある。

取り急ぎ、人生節目の日記として記しておこうかと思う。