気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

雑談:介護日記4

今日は、夜勤明け。
前回の「介護日記3」も夜勤明けの日記だったが、前回に比べて今回の夜勤は、比較的平和な明けを迎えることができた。前回、けっこうパニくり、集中砲火を浴びた敗戦投手さながらであったが、今回はなんとか長打、連打を浴びることなく、無事投げ切ったという感触だ。あの集中砲火もよい経験となっている。日々の体験がそのまま学びだ。
 
夜勤明けは、完投投手のごとく、疲労感に心地よさを感じることができる。何しろ、夕方16時から翌朝9時まで17時間の拘束時間を乗り切るわけだから、それだけでも達成感は感じられる。それに加えて、体を使っての業務は、一種のスポーツ感覚もある。汗を流した後の疲労感は、苦痛というよりも快感である。
 
夜勤中に晩飯を食うが、朝の終業時には、非常に健康的に腹が減っている。と同時に脳の機能が徐々に睡魔との闘い状態に入っていく。
 
帰宅→朝飯→爆睡。つまり、仕事を全力投球→どんな朝食も美味い→強烈な濃度の睡眠、というメリハリの効きまくった時間を味わえるというのが、この第二の人生での、初体験の喜びである。「定年年齢後の夜勤は過酷ではないか」という心配があったが、むしろその心配は楽しみに変化している。
 
年齢に伴う体力面での不安も徐々に払拭されつつある。むしろ「ここまでできる俺の体って、けっこうイケるじゃん」と、自分で予想外の自分の体力に自信のようなものさえ芽生えつつある。甘えが許されない環境に身を投じることにより、逆療法的効果なのか、確実に健康は改善されている。予定外の形でアンチエイジングが進んでいる。
 
「明け」の日というのは、使い方次第でお得な日になる。
もちろん体調を整えるための日であり、睡眠不足を解消し、体力を回復させるために設けられた日であるが、濃度の高い睡眠はレム・ノンレムの睡眠サイクル1セット(約4時間)で満足をもたらしてくれる。今朝は11時ころ就寝して、お昼の3時には目が覚める。目覚めのブラックコーヒーによる覚醒がこれまた快感である。そして、さらに脳の覚醒のために、本を手に取って読む。
 
「明け」はオマケ的な休息日なので、本を読んで充実させるのも一つの手だ。
先日、阿川佐和子さんの「看る力」という本を読んだ。 
看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)

看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)

 

 

阿川佐和子さんとよみうりランド慶友病院の開設者・大塚宣夫先生が対談形式で進める介護のお話で、副題には「アガワ流介護入門」とある。阿川佐和子さんは、両親の介護経験をお持ちで、お父様は大塚先生のよみうりランド慶友病院で晩年を過ごされ、最後は同病院で看取られたとのこと。またお母様のこともご自宅で介護しておられ、それらの経験談を交えながら、大塚先生との対談を進められている。
 
介護される家族を看てもらう側からの阿川さんのお話、介護される人を看る側の大塚先生のお話、それぞれが違う側の視点で、本音からセオリーまで話されているので、介護に関心のある読者にとっては、「まったくそのとおり!」と共感が得られつつも、「なるほどね!」と納得のいくアドバイスに出会える本である。
 
大塚先生の開設された病院では、経験を集約され、「医療」よりも「介護」、さらに「介護」よりも「生活」にを重視して運営されている点が、他の介護施設と比して特徴的である。阿川さんのお父様が晩年、居室に電子レンジを持ち込んで、「チン」して晩酌を嗜まれた話や、居室で阿川さんも含めて焼き肉を楽しんだエピソードなども紹介されている。
 
「食べることは、人間の最後まで残る楽しみ」という生活の視点を重視しつつ、「食べることが高齢者の生きる力を測る目安として大事」という視点も失わない。介護に加えて、「豊かにすごせるような生活環境を整える。すなわち衣食住を整える」というポリシーを重視されている。
 
非常に素晴らしいなと思いながらも、自分の勤務する介護施設とやはり比較してみることになる。正直のところ、本書で述べられているものには、程遠い現実がある。カロリー制限や食事制限により、学校給食よりも食を楽しむ自由度は低い。おそらく今後、熱燗も、焼き肉も人生で味わえるチャンスはないだろうと想像する。そして、「それは悲しすぎる」と感じ、「自分は施設には入らないようにせねば」と強く思う。
 
ただ、この発想は本書の趣旨とは反する。「介護」だけでなく「生活」の要素を重視した取り組みが大事だよということだ。施設を嫌うのではなく、施設が「生活」を楽しめる場として充実させていこうということだ。衣食住の充実・・・検討の余地は多分にありそうである。
 
また本書では認知症」の話にも多数の紙面が割かれていたが、次のような内容は、医師という専門家からの意見として非常に参考になった。
 
認知症の本人は、(記憶を失っており)少ない記憶を駆使して、自分なりにベストの判断を下し、行動している。それに対し、とがめたり、諫めたりしても意味が通じず、何の役にもたたない。むしろ安心感を与えよと。
 
認知症の人に言うのと子どもに言うのとは違う。子どもは言われたことを覚えているが、認知症の人は覚えていない。認知症の人に教育的効果を期待するのは無駄。
 
認知症の進行を抑えるには、本人が周りから注目されたり、必要とされたりすることが最も効果的であるらしい。
 
・また、認知症者への対応のコツは、男女差があるようで、どちらかというと男のほうが手がかかるらしい(笑)。男はどうやら、役割とか大義名分とかが大事らしく、また数値とかランキングとかに関心があるようで、例えば役割を与えたり、競い合わせたりすることで物事へのモチベーションを引き出すことができるようだ。一方女性の方は、お洒落する仕掛けづくりが大事だと書かれていた。
 
要介護者のいる家族に対して、「介護はマラソンのようなもの(長期戦)だが、対応に必要なのは駅伝形式で」と言われていたが、これは名言だと思った。介護はいつ終わるかわからないのであり、体力の配分、経済的な計画が必要だし、実際のサポートには、できるだけ多くの人を巻き込むことの重要性が述べられていた。
 
であるならば介護職に従事している自分は、駅伝のタスキを受け継いでいる立場となる。果たしてよい走りができているのか?・・・そいうことを考えてみる機会をもつためにも、介護関連の本にも関心をもっていきたい。