気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「法華経の智慧」第二巻

 しばらくサボっていたブログ。久々に更新しよう。

直近(といっても夏の終わり8月だが・・・)の投稿を思い出すと、ちょうど法華経智慧」を再読し始めたところだった。もう一度「法華経」を学び直したくなったのだ。

 

ブログはサボっていたが、読書はサボらずに続けていたので、投稿ネタは幾つかある。

まずは「法華経智慧」第二巻だ。

 

 第二巻では、法華経二十八品のうち、譬喩品第三~法師品第十までの以下の八品について、語られている。


・譬喩品 第三
・信解品 第四
・薬草喩品 第五
・授記品 第六
・化城喩品 第七
・五百弟子受記品 第八
・授学無学人記品 第九
・法師品 第十

 

「譬喩品(第三)」では、有名な「三車火宅の譬え」が登場する。長者が燃えさかる家で遊ぶ子供たちに、屋外で羊車、鹿車、牛車を与えると約束することで救い出し、その後大白牛車を与えるという話だが、これは「三界の苦しみにあえぐ衆生を、声聞(羊車)、縁覚(鹿車)、菩薩(牛車)という方便を説いて救い出し、最終的に一仏乗(大白牛車)の教えを与える」ということを仏が衆生に理解させるために説いた譬喩である。声聞・縁覚・菩薩の三乗を開いて、一仏乗(仏界)を顕わしているということから、「開三顕一」を表現するものであると言われる。

 

このように、法華経には多くの譬喩が用いられており、中でも法華七譬と呼ばれる以下の譬喩は良く知られる。


・三車火宅の譬え(譬喩品)
・長者窮子の譬え(信解品)
・三草二木の譬え(薬草喩品)
・化城宝処の譬え(化城喩品)
・衣裏珠の譬え(五百弟子受記品)
・髻中明珠の譬え(安楽行品)
・良医病子の譬え(如来寿量品)

 

これらの譬喩も含めて寓話として読んでも、法華経はとても面白い読み物だが、そこに込められた釈尊の真意を知ることができれば、これは生きた哲学となる。本書は、その釈尊の真意の正しい理解のための必読書であると言える。

 

平安時代には、伝教大師が日本天台宗を創設したこともあり、その時代にも法華経は民衆の中に浸透していた。清少納言が「枕草子」で、紫式部が「源氏物語」で法華経を扱っている。かの光源氏は、天台三大部とその注釈書60巻を読了したほどの法華経通であったようだ。文学としても興味深い法華経であるが、生きた哲学としての理解を深める方向性で読み進めたい。

 

第一巻の「方便品」で知恵第一の舎利弗は、釈尊の教えを領解したが、他の弟子はまだ領解に及ばない。そこで、譬喩品で「三車火宅の譬え」を説いて、迦葉をはじめとする四大声聞は初めて領解する。四大声聞は、歓喜するとともにそのことを「長者窮子の譬え」を語ることにより、自分たちが領解していることを釈尊に伝える。

 

釈尊は、弟子たちの領解した内容を承認するとともに、さらに補うために「三草二木の譬え」を語る。このことを天台は「述成」という。譬喩で教え、譬喩で応え、さらに譬喩で補足する。ただ通り一遍の伝達ではない。こうして仏の教えを正しく領解した四大声聞には、舎利弗になされたと同様に、授記(将来成仏するという保証)が為される。

 

ここまでで領解できなかった、富楼那も五百人の比丘とともに、五百弟子受記品で授記が為される。さらに次の段階で、阿難、羅ゴ羅と二千人の弟子たちへも授学無学人記品で授記が為される。法師品においては、「一念随喜」の条件をクリアするのみで、衆生に授記が為される。

 

そして、提婆達多品では悪人・提婆達多に、勧持品では女性への授記が為される。それまでの教えでは不可能とされていた悪人成仏、女人成仏が、法華経において可能となり、「一切衆生皆成仏道」がここに完結するのである。釈尊の説く経々の中で、法華経のみが「万人成仏」を可能とする教えであるという点が非常に重要だ。

 

そして、釈尊在世当時には、釈尊の説法→弟子の領解→釈尊の承認と補足→授記(=成仏の保証)という流れがあったが、釈尊滅後の末法の今では、衆生はどのように成仏できるのかという疑問が生じる。

 

その答えとして、「末法法華経である日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を唱え、弘めることが、末法における授記である」と本書で述べられている。日蓮大聖人の法華経が下種仏法であることから、下種=授記となることを学んだ。天台は、「授記」とは「言葉を用いて弁えること」と定義しており、それは「自覚させ、確信させる」ことであると述べられている。そうすると、「授記」の本来の意味は、何か成仏のお墨付きをもらうというような受動的な意味でとらえるよりも、弟子自らが成仏を自覚し確信するというように積極的に捉えるほうがよいように思う。

 

成仏についても、「絶えず仏界を強めていく、無上道の軌道に入ること」「生命の軌道、絶対的幸福のレールに入ること」と述べられていたことと併せて理解すると、唱題と弘教(下種)の菩薩道を自ら行い続けることが、無上道の軌道に入ること、即ち成仏への道となる。

 

第2巻では、まだ全体の10品/28品を学んだにすぎない。本書での師弟の語らいは深く、そこから正しく仏法の真意を学びたいと求道心を燃やして、集中して読んでみるが、なかなか法華経は広く深い。