気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「宮本武蔵」 火の巻

 

 ◆火の巻

 

「火の巻」は、伏見城の築城現場から始まる。
著者、吉川英治のカメラワークは、大河ドラマを見ているように場面が切り変わっていく。秀吉の天下から徳川政権に移行し、徳川ならではの政策が、城普請として展開されている。譜代の心の緩みを規制しつつ、外様の蓄財消耗の狙いもあり、はたまた雇用拡大による景気向上で庶民をも喜ばせる効果もあったようだ。

 

伏見城の土木作業員(石積み)の中には、あの又八がいる。そしてもう一人、武者修行風の男が、その築城の様子を見ながら図を描きとっている。

小説の章タイトルは「佐々木小次郎」。
その武者修行者は、手に包みを持ち、その中に中条流の印可目録を持っている。そこには「富田入道勢源門流後学鐘巻自斎 佐々木小次郎殿」と書かれている。あごや耳の後ろや手の甲にかなりの刀痕がある男・・・この男が、城のスパイ容疑で撲殺されてしまう。

佐々木小次郎って、こんな風貌だったっけ?こんな簡単に死ぬわけないよな・・・不死鳥の如く甦るんだったかな?・・・と、吉川英治のフェイント攻撃にまんまと惑わされてしまう。実はこの男は、実は自斎の甥で、小次郎の「印可目録」を預かって渡そうと旅をしていた天鬼という男。

 

ここでその「印可目録」に目を付けたのが又八。それを盗み、自身が「佐々木小次郎」と名乗り、なりすましで世を渡って行こうとする。この「いい加減さ」が武蔵と対照的で小説を面白くしているところの一つだ。

 

なぜか気になるのは又八の親「お杉婆」の又八に関する過干渉。「この親にしてこの子」なのである(笑)。

 

さて、その後の章タイトル「美少年」のところで、本物の小次郎が登場する。長身でハンサム、背中に「物干竿」と呼ばれる伝家の長剣を背負い、子猿を一匹連れているニヒルな男。ニヒルというより生意気というべきか。舟の中で、吉岡門下の祇園藤次とからむが、小次郎をなめてかかった藤次の頭の髷を、一瞬の刀裁きで斬りおとしてしまう。凄腕である。燕返しのチョイ見せシーン。藤次の恥さらしを知った吉岡の門人たちが数人、看板の汚名挽回を図ろうとするが、予想通り小次郎に軽くあしらわれて逃げ帰る始末。

 

吉岡と柳生の違いを考えてしまう。柳生は、技から心へと磨きをかけて発展して行ったのに対し、吉岡のほうは親の七光りで息子兄弟が遊興にふけり、技さえ錆びついてきている。後継者が人材か否かがポイントだ。

 

一方、武蔵はより高みを求めて、修行の旅を進めるが、途中足を負傷し悪化させてしまう。ストイックな武蔵は、その痛みさえ自身が乗り越えるべき敵とみなす。
「この敵にすら克てないで、吉岡一門に勝てるか。」

そしてそれを信念で乗り越えようとする。
「彼の頑固な信念に、病魔も負けて、幾分か頭がすずやかになった」

「勝つ」と言う事への執念が凄まじい。

 

自信を未熟と認め、雲上の人と仰ぐ柳生石舟斎に対しても、「必ず超える」との一念を一時も忘れない。目前に現れた鷲ケ岳の岸壁を、負傷した足のまま登り始める。鷲ケ岳を石舟斎とみなし、それを登り切って、足で踏みにじってやろうと本気で実行に移す、そういう執念である。「必死」とか「覚悟をする」とかは、武蔵にとっては当たり前のこと。彼が悩むのは、必死の覚悟がもてないことではなく、「絶対に勝つ」という信条をつかむことだった。

 

頂上直前。
「もう一息というところの苦しさは、言語に絶したものだった。それはちょうど、斬るか斬られるか、力の互角している剣と剣の対峙に似ている」

 

鎖鎌の達人・宍戸梅軒(実は武蔵が関ケ原後に撲殺した辻風天馬の弟・辻風黄平だった)との絡みをへて、武蔵は吉岡と約した決闘のため京に向かう。武蔵から吉岡へ出した果たし状は先方の手に届いた。吉岡では、対決の日を年明け一月九日とし、場所は蓮台寺野という高札を五条大橋のたもとに立てた。

 

また、武蔵から又八へ送った「一月一日の朝、五条大橋で会おう」という手紙をめぐって、その内容を知る朱実、お通、城太郎らが集まってくる。そしてまた時を同じくして、武蔵の命を狙うお杉婆の姿もある。吉岡清十郎とつるむ佐々木小次郎の姿もある。皮肉なことに当の又八だけはその手紙の内容をしらされていない。そういう、一人ひとりの人間模様もまたリアルにありがちで面白い。

いよいよ「風の巻」では、武蔵と吉岡の決戦である。