「宮本武蔵」 円明の巻
◆円明の巻
再読を思い立ち、読み続けてきた「宮本武蔵」も、ついに最終巻「円明」の巻を迎えた。前巻では、武蔵が宝蔵破りの冤罪で囚われの身となるが、沢庵らの計らいもあり、晴れて無実が明かされる。さらには、沢庵、北条安房守の推挙により、江戸幕府師範就任の話へと発展するのである。
かたや佐々木小次郎は、細川家の師範であるから、その出世のレベルは格段に違う。武蔵も一度は「極めてきた剣の道が経綸道へも通ずるのだ」ということを試してみたいという思いにも至った。武蔵も受ける決意が固まりつつあった。しかし、それを何としても阻みたいお杉婆の執念。あらぬ讒言の限りを尽くし、結局武蔵は、「仇持ちであり、その方は老齢の者」という理由でこの話は沙汰となってしまう。
武蔵は、囚われの身から解放された後、ともに過ごしていた夢想権之助や伊織と離れ、一人、またしても修行の道へ入ることを決意する。
「門に入ることの栄達、門を出ることの栄光」という表現があった。将軍家の門に入ることは栄達であろうが、自身はその門を去り、剣の道に生ききることに栄光を見るというのだ。
一方、柳生家に身を寄せているお通。石舟斎は亡き人となり、その孫にあたる兵庫(利厳)は密かにお通に思いを抱くが、お通の一途な武蔵への思いは変わらない。当然この柳生家に、武蔵が将軍家師範となる話は入り、お通を武蔵の元(江戸)へ送り出すが、予想外の破談とともに、武蔵とお通はまたもすれ違いの人生を歩むこととなる。
権之助と伊織の弟子二人の旅。道中、武蔵と縁する様々な人物との出会いがある。宝蔵院の公開試合の見物の場で、兵庫や助九郎らと出会う。あの本阿弥光悦とその母との出会いもある。権之助も伊織も、会う人物の高さを感じ、その人物の口から出る武蔵の語りを聞いて、師の偉大さに誇りを感じたことだろう。しかし、権之助は亡き母の供養に出向いた高野山九度山あたりで、真田家の手下のものに不審者として狙われ、この時に伊織を逃がし、自分は囚われの身となる。その人となりから直ぐに真田家の理解が得られるが、ここから伊織とは別々の生活が始まる。
一方の武蔵は、岡崎あたりで、無可先生と呼ばれ剣術塾を行いながら、恐らく自身の剣の道を究め続けていたのだろう。この時に、罪滅ぼしに出家した又八と出会ったりする。この又八との出会いが、禅師愚堂との再会につながる。ついに行き詰った武蔵は、必死の思いで、愚堂に教えを乞う。愚堂の答えはいつも直接的ではない。
「無一物!」
武蔵の周りの地に、円を描く和尚。その円の中に写る自身の影をみる。
武蔵は知る。
「影は自己の実体でない。行き詰ったと感じている道業の壁もまた影であった。行き詰ったという迷い心の影だ。」
これが「円明の巻」のタイトルの由来か。
細川家の師範となった小次郎。推挙したのは岩間角兵衛。一方でもうひとり武蔵を細川家に推挙していた老臣長岡佐渡。果たして小次郎と武蔵、いずれが真の剣の達人なのか。その決着をつけるべく、武蔵と小次郎の対決が噂となり、そして現実のものとなっていく。決戦の舞台は、関門海峡に浮かぶ「船島」。この島をなぜ、「巌流島」と呼ぶのかという疑問がわく。なぜ巌流佐々木小次郎の名前が採用されているのか。
それはともかく、この物語の最大のクライマックス、武蔵と小次郎の対決のシーンが描かれていく。島には、権之助も伊織も、復縁した又八と朱実も、改心してお通や武蔵に詫びたお杉婆も、そして一途に思い続けたお通の姿もある。お通は、対決の直前に、武蔵から「妻である」という言葉を伝えられる。
「武士の女房は、出自にめめしゅうするものではない。笑うて送ってくれい。これ限りかもしれぬ両人の船出とすれば、なおさらのことぞ」
この一瞬の戦いに、武蔵の「五輪書」に納められた一切の剣の心得が集約されていたのだろう。しかし、この戦いに臨んだ小次郎も、すでに一人の人間になっていた。
「人間ー素肌の自己。これ一箇しか、今は、恃むもののないことをさすがに悟っていた」
著者はこの勝敗をこのように表現していた。
「小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。」
武蔵が求め続けたものは何であったか。小説は、次の言葉でくくられている。「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」