気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

和辻哲郎「風土」 第二章の勉強会

 

コロナ禍の状況下になってから、知人(先輩)とzoomによる読書会を月イチのペースでやっているが、今日は「風土」の第二回目の勉強会の日だった。朝8:30から約90分ほど、読後の意見交換を行った。

 

今回は、「第二章 三つの類型」ということで、内容は3つの節に分かれている。

すなわち「モンスーン」「沙漠」「牧場」の各節である。

 

これは昭和3年の執筆であるが、当時著者の和辻氏が、世界の各地を実際に訪れながら、その地の風土について、人間学的観察をしたことをまとめたものと思われる。どちらかというと地理学とか民俗学といった趣がある。第一章の基礎理論の部分は、表現が難解でとっつきにくかったが、この二章はどちあらかというと紀行文的な雰囲気もあり、非常に興味深く読める。

 

3つのエリアは、風土的に特徴のあるエリアの代表例を示したものであるように思われるが、気候的・地理的要素から述べれば、概略次のように述べられていると思う。

 

モンスーンとは夏に南西から、冬に北東から吹く季節風のことだが、特に夏の太平洋から大陸に向かって吹く、大量の湿気を含んだ風の特徴について強調しており、一言でいえば「その不快感は耐え難い」ということを述べている。

 

また、その影響のもう一つは、この地に台風、大雨、または洪水、旱魃などの自然災害が多いということも述べている。そういう意味で、このエリアでの湿気は、耐えがたい不快感をもたらすほか、人間が対抗できないような災害をもたらすものととらえている。

 

そのようなところから、このエリアで生活する人々は、「受容的」であり「忍従的」であると著者は結論づける。

 

(以下引用)***

”モンスーンは人間に対抗を断念させる。かくて自然は人間の能動的な気力を、意志の緊張を委縮し、弛緩させるのである。インドの人間の感情の横溢は意志の統括力を伴わない。”

”受容的・忍従的な人間の構造は、インドの人間において、歴史的感覚の欠如、感情の横溢、意力の弛緩として規定せられた。我々は歴史的・社会的にインドの文化型として現れているのを見るのである。”

”歴史的・社会的に現れた想像力と思惟とがいかにインド的人間の特殊構造を示すかを見た。非歴史的・非統制的なる感情の横溢としての受容的・忍従的態度がそれである。”

***

 

モンスーンという風土の代表として、日本人も含みつつ、インドの人々の特徴を考察し、戦闘よりも智慧の力を重視する性質、推理的ではなく直感による情的思惟(大乗仏教などに続く)、無抵抗主義的な闘争(つまりは非暴力・智慧の戦い)などが、この風土から生まれた特徴と述べていた。

 

次に「沙漠」について

最初に、われわれ日本人が「砂漠」を英訳するときに使用するdesertという単語についての説明があった。このdesertという言葉は本来「生気なく、空虚であり、荒れている」といった言葉で、例えば岩石の荒れ地をrock desertといったり、礫の海をgravel desertと言ったりするという説明があった。そういう荒れ地的な風土を取り扱っている。

 

著者が選んだ地は、アラビア半島南端のアデン(イエメン共和国)や、シナイ半島のシリア・メソポタミア砂漠等であり、rock desertとsand desertの地域であった。この沙漠をイメージを著者は「死」のイメージでとらえている。

 

先のモンスーンでの台風や大雨、洪水などは、人や生き物にとって死をもたらす存在であるかもしれないが、そうでありつつも恵みをもたらす存在でもあるとして、受け入れる姿勢があるのであるが、ここでの沙漠はそれ自体が死であり、生への恵みをもたらすことのない存在ととらえている。すなわち、ここでの人々の生活は、死と直面していると言える。

 

それであるがゆえに、沙漠の中に存在する生との接点=オアシス的なものの獲得に、人々は命がけであり、その争奪のための部族間での戦闘が始まるという。従ってある部族という共同体に属するという行為は自身の生死を分けることに直結する。つまり、この風土に生きる人々は、その共同体への服従と、対立する部族との闘争という二つの側面をもつという。この風土における人々の性質は「服従的・戦闘的」の二重性格であるという。

 

ここで生まれた宗教、フィフィ教(回教)、またユダヤ教もその神ヤーヴェやエホバは元をたどればこの地シナイ山の神、軍神であったというから、いずれの宗教も絶対服従的・戦闘的な性質を含んでいると思われる。

 

ナイル川という水の恵みをもつエジプトにおいては、それらの性質を持ちつつも、静観的・感情的で、知力の発達や美観の精錬とかが特性的であると、少し趣が異なる点を述べていた。

 

最後に「牧場」について

著者は「一般にヨーロッパの人間の文化がいかに牧場的であるかを考察する」との述べている。著者がいうこの地の特徴は、「湿潤と乾燥の総合である」という。すなわち、モンスーンという風土の特徴と沙漠という風土の特徴の総合であると言っている。夏に乾燥、冬に湿潤という特徴があり、これによって雑草は生えないという。日本の夏とは全く異なる風土なようである。また、地中海には海でありながら生物が住まず、ここで漁業などは栄えることがなく、地中海はどちらかというと交通路的な役割を果たしているという。

 

そういう風な特徴から、この地で暮らす人々は放牧やオリーブ栽培、ブドウ栽培などで、自然と融合しあいながら暮らしている様子を紹介している。その姿は、自然に忍従する必要も対抗する必要もなく、自然と融和しているイメージだ。そして、この地に住む人々は自然の中に法則を見つけ、自然科学の発達などはこうしてもたらされたという。

 

またギリシャを起源とするポリスでは、人工的・技術的な仕事が中心となり、それによって地中海を支配するに至った。同時に観照的な学問が(アリストテレスの観ること知ることなど)が発達したことを述べている。

 

その後地中海の交通路を利用して遠征してきたハンニバルに対し、ローマ軍が勝利を収めたことを契機に、ローマは発展し周辺を自らのポリスに取り込んでいき、周囲の統一を進めた。それがカトリック教会がヨーロッパを支配するきっかけとなった。

 

ヨーロッパの「湿潤と乾燥の総合である」という特徴かから、古代ギリシャでは静的でユークリッド幾何学的、彫刻的、儀礼的な文化が生まれたといい、近代西欧からは、動的、微積分学的、音楽的、意志的な文化が生まれと述べている。

 

こうして、3つの代表的な風土とそこで暮らす人々の性質、そしてまたそこから生まれた宗教、文化などには異なる特徴がみられるということを著者は観察の結論として述べているのだと思う。

 

この章の最後の節に、次のような記述があった。

”風土の限定が国民をしてそれぞれに異なった方面に長所を持たしめたとすれば、ちょうどその点にいおいて我々はまた己の短所を自覚せしめられ、互いに相学び得るに至るのである。またかくすることによって我々は風土的限定を超えて己れを育てていくこともできるであろう。”

 

これが著者の結論的な記述ではないかと理解したものである。