気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

リードとライト

引越しを期にブログを始めたのはちょうど年末年始休暇の時期だった。

なんとなく新しい地で新しいページが始まるというのがよいなと思ったし、新しい土地での新しい歴史を綴っていこうという思いもあった。なにより休みで自分の自由な時間が増えるということは、それなりに本を読む時間も確保できるし、書く時間も確保できるということだ。

 

今回、夏休みも比較的長めの休暇が取れた。それで読みたかった本も何冊が読め、ブログの記事を書くことも通常より楽しめた感がある。

 

しかし、仕事が始まると「書けないな~」というのが正直の実感だ。

といいながら皆さんはどうだろうと、「読者」にさせていただいている皆さんの記事を拝見していると、自分のパターンとは反対で、「休み期間」よりも「休み期間明け」のほうのライティングが活発な方が多いように感じる。もちろん、常にコンスタントに書かれているブロガーさんも多い。さすがだ・・・。

 

そんなこんなで自分のリード&ライトの効率化については模索中だが、「仕事が始まった」ということが読書ライフにとってマイナスかというと、そうでもなさそうである。

 

夏休みで時間がたっぷりあると「いつでも読める」という意識がどこかにあるが、仕事が始まると「通勤電車だけが読書タイム」だという意識から、読書の集中度が増すというのが実感だ。意識と言うのは面白いものだ。

 

さて、休み明け読書の第一号は、自分からは絶対に選ばない本だ。

家族共有のkindleで恐らく家内か娘が購入したであろう「ヨガ」の本を読んでみた。

・女性の間では、かなりニーズが高そう。

・最近、ご近所さんから「オヤジヨガ」なるもののお誘いを受けたが参加していない。

・家内や娘が関心をもつヨガとはどんなものなのか。

そういう思いが頭をよぎったので、知らない世界を覗いてみるかという好奇心で読んでみた。 

心と体によく効く引き寄せ瞑想ヨガ

心と体によく効く引き寄せ瞑想ヨガ

 

「祈りを伴うラジオ体操とストレッチ」という第一印象。引き寄せとは、幸福を引き寄せるという意味か。確かに心身に悪くはないなと感じた次第である。

 

 

 

 
 
 

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男女間の不合理、親子間の不条理

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

 

この本は何度か読んだが、自分では「よい本」と認識しているので、自分のブログの記事には絶対に入れておきたい一冊だ。「よい本」というのもおこがましい程の著名な本「学問ノススメー福澤諭吉著」の現代語訳版だ。

 

なんといっても明治維新直後のベストセラーであり、本書はかの斉藤孝氏のわかりやすい翻訳で、今でも人気のある本であると思う。

 

発刊直後に即購入して読み、その後司馬遼太郎さんの「花神」を読んだ時に、「花神」の主役・大村益次郎と同じく適塾緒方洪庵に学んだ人物であるのに、大村と対極的な生き方をした福澤が描かれていたので、もう一度読んでみようと思ったのが再読のきっかけだった。

花神(上) (新潮文庫)

花神(上) (新潮文庫)

 

 そもそも大村益次郎福沢諭吉とはキャラクター的に全く正反対であり、生き方が対極的なのは当たり前かもしれないが、大村はある意味「軍事の面」で革新的であり、福澤は「思想の面」で革新的であったので、どちらも「革新的」という点ではくくれるかもしれない。

 

ところでその福澤諭吉の思想面での革新性に「平等」の考え方があると思う。

士農工商階級意識が定着していた前時代から、新しい時代を迎えるにあたり、いち早く発想を切り替えることができたのが福澤だ。しかもその啓蒙活動をさっそく始めるその行動力がすごい。

 

これまで学問がなかったために、見えない権力構造にコントロールされ、自らも委縮し続けてきた一般庶民に、明治維新の到来とともに本当の「平等」の意味を明確に知らしめ、そこを原点として一つひとつ世の中の本来の在り方、基本的な考え方を解き明かしていった。

 

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは最も有名な言葉だが、その「平等」の考え方を原点として、政治や経済の基本原理を庶民に分かりやすく説明し、国家と国民の関係、権利と義務のことまでも誰もが理解できるようにテキスト化したのがこの本であったと言える。
 
しかも、本書が面白いというか、読んで痛快に思えるのは、福澤諭吉の物言いが、歯に衣着せぬところだ。良いものは良い、悪いものは悪い、徹底した是々非々である。それが非常に小気味よい。

 

 
目次はこんな具合だが、その真ん中あたりに「男女間の不合理、親子間の不条理」とある。
 
 学問には目的がある
 人間の権理とは何か
 愛国心のあり方
 国民の気風が国を作る
 国をリードする人材とは
 文明社会と法の精神
 国民の二つの役目
 男女間の不合理、親子間の不条理
 よりレベルの高い学問
 学問にかかる期待
 美しいタテマエに潜む害悪
 品格を高める
 怨望は最大の悪徳
 人生設計の技術
 判断力の鍛え方
 
現代社会ですらセクハラだの人権問題など誤解があるのに、福澤氏はすでにこの時から女性進出を訴えているその先進性には驚きだ。
 
また、親子の関係性についても当時としては全く革新的なくらい、子どもの権利を尊重し、大人の身勝手を指摘している。特に昨今は、子どもを親の所有物と考えているような事件が後を絶たない。もう一度、福澤諭吉の原点的な庶民教育が必要ではないかとさえ感じる。
 
福澤諭吉が、いまTVに登場し、ダイバシティや教育問題等について論じたならば、不合理を徹底的にこき下ろし、視聴率のメーターは振切るのではないだろうか(笑)。
 
 
 
 

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眼光紙背に徹す

読書は楽し。

良い本と出会い、できるだけたくさんの本を読みたい。これは本読みの共通の望みだろうと思う。しかしながら、ちょっと振り返ってみると、「できるだけたくさん読みたい」という気持ちも、前と今では少し違ってきたように思う。

 

少し前には、ともかく読書量を意識していた時期があった。つまり何冊読めたかに読書の意識の比重が偏る。こうなると速読というか乱読と言うか、そういう形の読書になり、「読了、ハイ終わり。次・・・」というような感じの読みとなる。これは正直、本の内容がいくら良くても、読んだ本人にはあまり身になっていない。今から考えると非常にもったいない読み方だったなと思う。

 

それを自分の中では、若干ロスタイムと感じている節があり(笑)、これからはできるだけ良い本にめぐりあって、質の高い読書を増やしていきたいなという気持ちがある。やっと世間並みになれた気分だ。

 

ある読書論の原稿(書を読むの心がまえ)に、「眼光紙背に徹す」と言う言葉が出てきた。いままで読んだ本には登場したことのない言葉だ。もちろん日常でも聞いたことがない。意味を調べてみると、こういう説明だった。

 

「書物に書いてあることを、表面だけでなく真意まで理解することのたとえ。読解力に長けていること。」

 

するどい眼は、紙面の裏側まで見通す。文章の背景にある考えや著者の考えをガッチリ理解するというような意味のようだ。

 

その原稿には、次のようなことも書かれていた。

・乱読はうわすべりの学問はできても、深い思想点に達することはできない。

・一人の人の思想に止まると、それ以上のものが受け入れられなくなる。

・優れた著者の文章には、その背景に膨大な研鑽の蓄積があるのであり、その一部を読んだだけで分かった気になるな。謙遜の気持ちで読むことが大事。

・最初から質の高いものを読め。それが最も効率的な読書だ。

 

とても参考になる助言だと思った。

 

日本でいちばん長い日

 

 

夏休み、自分自身の「読みたいリスト」に入れてある幾つかの本を読みたいと考えていたが、そのうちの一冊「日本のいちばん長い日」を、終戦記念日の8月15日から読み始め、やっと今朝読了した。

 

考えてみれば、8月15日の終戦記念日といっても、特に「戦争」や「平和」ということについて考えてみることもなく、毎年「暑さよ、早く通りこしてくれ」と思う程度の一日を過ごしてきた。直前の8月6日や8月9日の広島、長崎に投下された原爆の記念日の式典の模様を伝えるニュースを見て、戦争があったことを少し意識する程度の毎年であった。

 

今年はこの本を読んで、少しは意義を意識する一日としてみようと思い、暑さ対策もかねて新しく見つけた「かき氷やさん」に、しばしお世話になった(笑)。

 

この本については、数年前(2015年)に二度目の映画化で話題になっており、「本は読んでいないけど映画は観た」という知人は何人かいた。陸軍大臣役所広司昭和天皇本木雅弘が演じた話題作だ。

 

日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日

 

 

自分は映画も観ていないが、観るなら本を読んでからの方がいいだろうなと思った。もちろん映画だけでも、この日本でいちばん長かった一日の歴史を知る意義は深いと思う。

 

本書は「決定版」として1995年に初版の内容を補追されて出版されたもので、初版はその30年前に出版されている。30年前の初版が出されたときにも、第一回目の映画化がなされている。このときの陸軍大臣三船敏郎、時の総理大臣・鈴木貫太郎を演じたのは笠智衆というから歴史を感じる。

 

歴史探偵と自らを名乗る著者半藤利一氏は、この昭和の謎解きに特に注力されており、初版以降の探究の成果をこの決定版に反映し、より真実性の高いものへと仕上げられたようだ。

 

副題に「運命の八月十五日」とある。8月14日正午から8月15日の正午までの24時間にこれだけの緊迫した展開があり、運命の8月15日を迎えたことを知って、まさに「日本でいちばん長い」という形容は間違いではないと感じた。

 

「敗戦」と一言で片づけることはできない。よくドラマで使われる天皇陛下玉音放送、あれで日本国民は敗戦の事実を知ったのだけれども、あの玉音放送がなされるまでに、日本の運命を左右する様々な出来事が次々とこの24時間の間に起こっていたとは、この本を読むまでは知ることはなかった。

 

神であった昭和天皇こそが、もっとも人間的であったという事実を知ることができる。

最後まで「敗戦を認めること」に抵抗し続けた軍部(特に陸軍)に浸透した「国体」というものに対する精神がどのようなものであったかを知ることができる。

その陸軍のクーデター等に屈することなく、戦争終結を実現した政府の命を賭した戦いを知ることができる。

 

これは、読み継がれていくべき本だなというのが強い読後の感想です。

 

 
 
 

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山本周五郎の戦中日記

 

山本周五郎 戦中日記 (ハルキ文庫 や 7-10)

山本周五郎 戦中日記 (ハルキ文庫 や 7-10)

 

 

今日が、74年目の終戦記念日ということで、少し前に読んだこの本のことを書いてみよう。この本は、いい本だったと思う。

 

 
この本は、山本周五郎(本名:清水三十六)が作家として、当時多くの作家が暮らしていた東京大森の馬込文士村で、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)2月4日までの生活していたときのことを記した日記だ。
 
当時、周五郎は38歳、妻と長男10歳、長女8歳、次女6歳、その後にもう一男生まれるが、戦時下の非常に厳しい環境の中で、筆一本で家族を支えながら、作家業に奮闘する日々が記されていた。
 
12月8日の日本軍真珠湾奇襲のその日から日記が始まっている。当時の戦時下の人々の暮らしぶりが生々しくわかるし、そういう環境下での作家がまたどのような暮らしぶりだったのかも知ることができる。
 
プライベートな日記が編集されたものであるが、秀逸な文章は当時をリアルに再現してくれる。しかしながら、この大文豪でも、自分の日記中には誤字が多いんだと変な驚きもあった(笑)・・・編集者はママとして表記している。
 
この頃、周五郎は作家としてもっとも油ののってきた頃かもしれない。いつも数本並行で原稿を抱えていたようだ。自宅への来客は多く、親戚、知人、それに各出版社の編集が入れ替わり立ち代わり原稿を取り立てに来訪する。
 
周五郎は主に夜中仕事のようだ。仕事にいかに集中できるか、原稿の締め切りまでのペース配分を入念に練っているのだとは思うが、いつも来客で時間を食われたり、折り重なる空襲警報のため突然時間を奪われてしまうことがしばしばだったようだ。
 
空襲警報は終戦に近づくにつれ激しくなっていき、そのなかで彼は自分の命よりも、妻子の命を失うことに恐怖を抱きはじめた。そしてその恐怖と闘うために、逆に執筆業に全精力を注いで恐怖から逃れようとしていたという印象を受けた。
 
一方、周五郎は、執筆上のストレスを食と酒で解消するタイプのようで、日記のいたるところに、食のこだわりやの話や、来客との酒の談笑の話や、二日酔いの朝の話などが登場する。戦時下でも、洋酒やワインを飲んだり、ステーキを食ったりと、けっこう富裕な生活をしていたようだ。
 
しかし空襲は誰の頭上にも平等に襲ってくる。空襲警報に寝込みを襲われたり、ひと箸いれたところで壕への避難を強いられたりと、当時の人々の避難生活の様子もリアルに記されている。
 
ある日の日記ではこんなことが書かれていた。
「しかし、過去の多くの体験はいつも己を成長させることに役立ってきた。困難はいつも己を磨く役割をつとめた・・・」
 
山本周五郎の作品を裏付ける一言のように感じた。
 
 
 

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通勤電車で寄席を楽しむ

 

古典落語(上) (講談社文庫)

古典落語(上) (講談社文庫)

 

 

このシリーズは、「上」「下」「続」「続々」「続々」「大尾」の6巻ある。

発刊当時、あまりにも面白くて虜になり、「続々」くらいまでは買い続けたように思う。この表紙のデザインがシリーズで統一されていてコレクション感覚でもそろうと心地よかった。このデザインいいな~と思う。

 

今回、これをkindle本で見つけ、懐かしくなって再読した。この「上」巻だけでも数えてみると32のネタが収められていた。誰もが知る「まんじゅう怖い」や「時そば」なんかもこの巻に収められている。それにしても、落語ネタがこんなにたくさんあるということ自体驚きだ。

 

落語を寄席でライブで楽しむのが、本物の落語ツーであるとは思うが、自分はどちらかというと読書の延長線上で落語本を読んでいるので、ほとんどライブでは聞かない。

もちろん聞けば楽しめる自信はある。

 

本書のネタを幾つか読み進めて、そのネタをユーチューブで検索して、映像ライブで楽しむという方法もある。先日風呂にスマホを持ち込んで聞いていたら、長湯効果で汗をかいて数百グラム減量できていた。落語はダイエットツールとしても活用できるのである(笑)。

 

今回は、通勤時にもよく読んだ。本を二種類持っていき、サブの本がこの落語だ。

小説ならショートショート感覚で、メイン本に読みつかれたときに、こちらを出して気分転換に読むというような感じだ。

 

ところで、電車の車中で「古典落語」を読む場合には、注意が必要である。特に、初めて読む場合には、注意が必要である。今回は再読であったので、自分自身も免疫ができていたが、初読のときはワナにハマった。ネタの幾つかに、爆笑モノがある。

今回の「上」の中では、「千早振る」「転失気」「もと犬」なんかが、自分のツボにはまってしまったネタである。

 

突然こみ上げてくる笑いに堪えようにも堪えようがなくなる。車中だからと無理して堪えるとよけいにおかしくなってきて、肩が小刻みに震えるのを抑えられずに、涙目を本で隠しながら、必死で声が出るのを抑えるという状況に陥ってしまうのである。

 

こういう思いをしたのは、さくらももこの随筆か、浅田次郎の「勇気凛々瑠璃の色」シリーズがを読んだときくらいだ。

 

通勤でストレスがたまったときや、落ち込んでしまったようなときには、気分転換にも「落語」はなかなか良いと思う。落語ネタには、江戸時代のあっけらかんとした庶民が登場し、そのおおらかさにストレスが和らげられないでもない。

 

久々に「勇気凛々」を検索してみたら、合冊本になってるんだ。

 

 

 

心のメカニズムを知りたい

 

無意識の構造 (中公新書)

無意識の構造 (中公新書)

 

 

心理療法を受けている家族がいると、心のメカニズムなどにはとても関心が湧いてくる。これは、その家族のためだけならず、自分のためにもだ。

療養中の家族の心の治療には、その周囲の家族の心の状態の改善も重要であると、ここ数年の経験でそう思う。自分は治療を受けていなくとも、その治療を理解することはとても大事であるとも感じる。

 

そう感じるので、自分の場合は河合隼雄先生の本を読むことが多い。河合先生は、日本では著名な、ユング派の心理療法家だ。自分では「読書が好きなわけではない」とか言いながら、ものすごい読書量であり、著書も多数あり、そしてまた読まれた本に関する随筆などを読むと、「そういうふうにとらえるのか」と読み方の深さにまた感動すること多々である。

 

 

本を読むときの心の開放度が違うんだろうなと思う。自身の経験でも、身構えて読んだときと、心全開で読んだときとでは、入ってくる質や量が全然異なると感じる。というわけで、なるべく心を開いて読むのだが、実はこの本は少々身構えてしまった(笑)。

 

ふだん読んでいた河合先生の随筆などは、日常のよくあることに対して、ちょこっと心理療法家の観点で、「なるほど」と思うようなツッコミをされたりして、比較的楽しく、また啓発をうけながら読むことができる。しかし、この本は、ユング心理学に関する学術的な内容が書かれたものであり、表面のみの情報を扱っているとはいえ、河合先生の本気の内容が書かれているのである。正直、「難しかった~」という印象だ。

 

ユングは、フロイトとともに深層心理学の大家だが、師事していたフロイトユングが袂を分かつことになったのは、無意識層のとらえ方に考えの違いがあったからのようだ。難しい話はよく分からないが、ユングフロイトも、無意識層から意識層へのメッセージである「夢」についての研究を行っている点は共通している。

 

心理療法を受ける家族も、夢を扱う治療を行っているようである。治療の内容は、家族であろうと開示してはいけないことになっているらしく、詳しいことはよく知らない。

 

自分自身、最初は治療の内容が開示されない療法に随分疑念を抱いた。騙されているのではないかと本気で思っていた。今から思うと、そういう心の家族の存在は、確実に治療の妨げになっていたと感じる。それが改善されて、治療が進むのである。

 

そういうわけで、家族のためにも、自分のためにも、自分の心を正しく維持していくことは大事だなと考えている。

 

この本は、心理療法のノウハウを書いたものではない。見た夢から、そのメッセージをどう解釈するのかとかの手法を述べたものでもない。というか、そういう夢の解釈はプロにしかできない。素人がやることは逆に危険だろうとさえ思う。

 

では何が得られたかと言うと、意識の下層に無意識層があり、その無意識層には家族的無意識とか、文化的無意識とかがあり、そのもっと底の部分には、全人類がつながっていたり、宇宙とつながっていたりという層があるという、そういう「無意識の構造」の存在について学べたことだ。

 

「夢が無意識のからのメッセージだ」ということが信じられなければ、ユング派の心理療法は詐欺にさえ見えるだろうと思う。意識層で悩んでいることが、自分の意識ではどうしても改善できなくても、その原因が無意識層にあり、それを改善していくことができるのなら、希望ができるし、しかも実際の改善事例が事実を裏付けている。

 

ユングが自分自身のからだで、無意識層の解明をしようとした格闘の模様が少し紹介されていたが、その結果としてユングの発見の一つに、古代から存在する仏教の中にすでに共通の真理が示されていたということがあったようだ。

 

河合先生の本に、「ユング心理学と仏教」という本があるようであり、これもいずれ読んでみたいなと思う。 

ユング心理学と仏教 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション V)

ユング心理学と仏教 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション V)