気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

〈叱る依存〉がとまらない 村中直人

本書を読んで、叱っている人=いかなる理由があろうとダメ、そして自分としても「叱る」行為は恥ずかしいことという認識が固まった。

どんな組織にいても、怒ってばかりいる人という印象の強い人もいれば、めったに怒らないよねという印象の人もいる。これまでの経験値の積み重ねによる、個人的で独断的な感想では、「怒ってばかりいる人」=「強そうに見えるが本当は弱い人」、「めったに怒らない人」=「言われっぱなしで弱いように見えても実際は強い人」というイメージがある。ある程度その直感は、本書を読んで当たっているなと思った。

また、自分自身を反省してみても、自分の心が弱い時ほど怒っているというのは胸に手を当ててみれば、間違いない。

弱いと「逃げたくなる」そして逃げられないとなると、自分の欠点を暴かれないように攻撃に転じる。このことも、医学的な視点から説明が施されていた(ネガティブ感情が起こると「防御システム(偏桃体+島皮質)」が活性化しすることで、無意識に逃げるか、戦うかの反応が起こるそうである)。

「怒る」と「叱る」は違うだろ、という意見に対し、著者は、叱る側の感情の違いはあれど、相手にとっては大差ないという。本書にいう「叱る」の定義を見れば、そのことは明確である。

◆「叱る」の定義
言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為。

例えて言えば、「親が子を叱る」というのは、子にネガティブな思いを想起させ、それでもって子をコントロールするってことだ。文面を読めば、なんて卑劣な行為かと思ってしまうが、それを知らず知らずにやっているわけだ。

先生と生徒、上司と部下、夫と妻、・・・「叱る」という言葉がよくつかわれる現場でも、それぞれ当てはめてみると、叱られる側にとっては非常に理不尽である。

そもそも著者は、この行為の背景になんらかの「権力」的なものが存在するという。よく考えてみれば得体のしれない「権力」である。夫と妻でよくあるDVでは、なぜか夫が自分の方に「権力」があると勘違いしているわけだ。パワハラで訴えられる職場の上司や、スポーツクラブのコーチなども同様に勘違いしているというわけだ。

パワハラ」という言葉が世に出てきたころ、訴えられた側の反撃ワードとして「叱ることはしつけであり、相手の為を思ってやっていること」とか、「叱っておかないと癖になる」とか、「人はみな叱られて成長していくものだ」とかがある。もっともらしい言葉のようだが、著者からすれば、「叱る」ことの正当性はゼロのようである。

「叱る」のは、勝手に権力があると思い込んでいる側の勝手なストレス解消であり、勝手で一方的な正義の押し付けであるということだ。

教育なら、叱る方法でないほうが効果的。しつけとか叱るとか、体罰とかはみんな相手にネガティブ感情を与えるやる側の論理であると。

「叱る」のは相手を黙らせることで自分が快感をえるための行為(ドーパミンニューロンが活性化されるらしい)であり、むしろ癖になるのは叱るほうのようだ。本書のタイトルがその意味をあらわしている。

「人は叱られて成長する」というのは、生存者バイアスによる歪んだ言い伝えとバッサリ。叱られ続けてメンタル壊れた人の言葉は世には残らず、叱られても叱られても耐えて耐えて頑張ってやっと成功した超レアな人の言葉が、あたかも一般的な名言のように残されている。

色んな意味で、面白くかつ実践的な本だと思った。