気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

図書館で借りた「緒方貞子 私の仕事」を少し読む

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図書館は、新型コロナウイルスの感染拡大で一時完全閉鎖となっていたが、3月末から本の予約受け取りと返却のみが可能となった。そこで、昨年お亡くなりになった、元国連難民高等弁務官緒方貞子さんのこの本を読んでみたいと思っていたので、予約し受け取っとっていた。

 

しかし、4月からの新たな職場への就職などでなかなか着手できず、休暇日の今日の午後から少し読み始めた。

 

なぜこの本を読んで見たくなったかは、米国タイム誌の世界に影響を与えた過去100年分の「ことしの女性」に、1995年の「ことしの女性」として緒方貞子さんが選ばれたというニュースを聞いたからだ。

 

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まだ、今日は前から3分の1程度を読み進んだだけだけれども、この日本が誇る偉大な女性の生き方や考え方を日記の端っこに記しておきたいなと思う。

 

緒方さんは、1991年1月に国連難民高等弁務官UNHCR)を拝命し、2月にジュネーブに赴任し、それから2000年の末に退任するまでの10年間、任務を果たされたが、その後も米国同時多発テロ(2001.9.11)を契機として、アフガニスタンの難民帰還及び復興支援に貢献したと述べられている。

 

緒方さんの仕事に対する考えが現われている言葉を拾ってみた。

 

「国家の権力によって領土を完全に保全し、国民の生命の安全を完全保護できる時代は終わった」

 

「紛争が起こる前に、飢え、病気、宗教的民族的差別、社会的不公正で苦しむ市民を直接支援する国際的な仕組みを作らなければ、この地球上から難民がなくなる日は来ない」

 

「私の判断の拠り所となったものは、ただひとつ彼ら(湾岸戦争収拾後のイラクにおけるクルド難民)を「救わなければならない」といことであった。この基本原則(プリンシプル)を守るために、私は行動規範(ルール)を変えることにした。

 

「常に難民という犠牲者の保護者として、保護を実施するための交渉に当たる。次に、保護者としていろいろなところへ行って拠出金を含む支援を集める、これが私のしてきたことである。」

 ※タイム誌は、「小さな巨人という異名を持ち、手ごわい交渉人として知られた」と緒方氏のことを紹介していた。

 

「人間の安全保障というのは、安全保障というのは、安全保障を人権、人道、保健衛生、開発、環境、教育等幅広い人々の営みの側面から考えるものである」

 

ジュネーブ忙中日記」として、1993年、1994年夏までの緒方さんの活動日記が記載されていたが、タイトルどおり多忙でかつ重要な仕事をこなされる日々が綴られている。その忙中にも、ご自身の安らぎの時間を忘れられていないのが流石だなと思う。

 

職務に関する難しい内容はわからないし、国際情勢のことも理解できていないので、流し読みで雰囲気を読んだだけである。

 

面白いと思ったのは、1993年12月7日に、元国連事務次官明石康氏と朝食をとられたことが書かれた内容。

 

「明石氏と朝食。九時、フランス語。九時三十分、副高等弁務官。官房長と毎朝の打ち合わせ会議」

 

日本人どうしなのにフランス語で会話されている!!

それに朝ごはんがたった30分間。あっという間だ。

 

1994年1月7日の日記。

「九時、羽田孜外務大臣。九時三十分、藤井裕久大蔵大臣。一時三十分、鈴木俊一東京都知事表敬訪問。十時、テレビ朝日ニュースステーション久米宏のインタビュー。

 

時代を感じる名前の羅列だ!

 

・・・返却日までに読み切れるかなぁ。