貂の皮
司馬遼太郎の短編の最後の「貂の皮」は面白かった。
そもそも最初は、この文字を何と読めばよいのかわからなかったが、これが「テン」という動物のことであることがわかった。「貂の皮」とは、この動物の皮で創った槍の鞘で、徳川の時代には、豊臣系の大名・脇坂家の大名行列での旗印となっていたようだ。
なるほど、毛並みが美しい動物。槍の鞘としての機能性もよさそうだし、その見栄えもよさそうだ。
どんなものかの実物は、下記の兵庫県たつの市のサイトに掲載されていた。
http://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/tennokawa.html
司馬遼太郎の本編でも書かれていたが、のちのち脇坂家の家宝となったこの「貂の皮」は、もとは丹波の赤井直正という武将の家宝だった。脇坂家の初代・脇坂安治は、秀吉に取り立てられ、あるとき、丹波攻めでなかなか落ちない城の主、赤井直正との交渉話をもちかけられる。「子息の命は保証するから、開城せよ」という要求を赤井直正に飲ませよと。
単身で敵陣へ行って交渉というのは、命を取られに行くようなものが、「命がけの仕事こそ将来を切り拓くチャンスだ」と秀吉に諭されて、安治は単身敵陣に乗り込んだ。
安治の大胆な交渉は、敵将赤井直正に気に入られ、命を取られることなく、「子息の命を保証する」ことの礼として、赤井家の家宝「貂の皮」を譲りうけることとなったというのが経緯のようだ。
安治は最終的には赤井直正を打ち取り、出世をものにした。そういうことから、この「貂の皮」は脇坂家の運を上向かせるシンボルとなったようだ。
秀吉が柴田勝家を破った際に、功労者を称え賤ケ岳の7本槍と7人の臣下を称えたが、その7人の一人にこの脇坂安治が入っている。しかしながら、賤ケ岳の戦いでの脇坂安治の功績はクエスチョンのようだ。こうして功少なくして、称えられるという幸運も、この「貂の皮」の御利益によるものか。