気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「宮本武蔵」 水の巻

 

 ◆水の巻

 

信長が桶狭間の戦いのおり吟じたという幸若舞「敦盛」の一節、「人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」から「水の巻」は始まる。明日は知れない今日の生命。

 

武蔵の剣にかける人生がスタートした。著者は、この言葉でその武蔵の胸のうちを表現したかったのだろうか。短い人の一生において、可能な限り自らを磨き続けたいと。武蔵は、17歳にして故郷を出、18歳~20歳の3年間、池田輝政の姫路城の天守閣にある一間で学問に専念し、21歳から自ら決めた剣の修行を開始した。

 

京の西洞院四条に吉岡拳法と言う剣の名門があると聞き、門を叩く。自らの剣を試し、さらなる上達のための何物かを得るためである。吉岡道場の門を叩いた武蔵は、「ただ独り山に籠って、樹木や山霊を師として勉強。これという師もなく、流派もない。将来宮本流を立てたい。」と自らを語った。武蔵のやり方は、半ば「道場破り」的な飛び込みによる他流試合方式だ。ただ、そこの看板を取ろうとか、金にしようとか、そういう裏は全くない。純粋に自分の剣を試したい、磨きたいという一心であった。

 

このやり方は、一つ間違えば、命を落とし、クズのように捨てられてしまう。相手は名門、確立された技術があり、実力も実績もあり、さらには名門のプライドもある。普通であれば、勝てる確率はかなり厳しいと考えるものだろう。まさに命を賭した人間錬磨の道と言える。

「将来宮本流を立てる」という大志。大目標の設定、そのための実行計画、勇気と強い意思。ビジネスでも、スポーツでも、勉学でも、はたまた人生全般においても参考にはなる。しかし、武蔵のごとくどれだけ自分への厳しさに耐えうるのか・・・。

 

そしてまた武蔵は、「ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力が、自分で卑下しているほどに拙いものではない」とも感じていた。自らの信念を貫いて、努力に徹してきたことは、自分で考える以上に世の中に通用するという事実も、様々な分野に共通する真理として、努力する者への励みとなる。

 

小説としては、強い相手に挑むハラハラ感と、その相手を一撃で撃破してしまう武蔵の凄腕に爽快感を感じつつ、旅をともにすることになった少年・城太郎に対する兄貴兼師匠としての温かい眼差しもまた爽やかである。

 

武蔵は、吉岡道場で門人をことごとく倒した後、大和路へ向かい、槍で名の高い宝蔵院を目指す。そして宝蔵院でも二代目胤舜不在中に、その高弟阿厳を一撃で下す。一撃で即死と、武蔵の剣はすさまじい。武蔵と阿厳の戦いの前に、武蔵は不思議な老人と出会う。すれ違い様にものすごい殺気を感じるが、その老人はこの戦いの前に、すでにその結果を予測していた。

「阿厳、無駄じゃよ、その試合は。-明後日にせい。胤舜が戻ってきてからにせい。」と。

この不思議な老人は、宝蔵院二代目の胤舜に槍の技を伝授したという奥蔵院の日観という人物であった。武蔵は、初めて自分の実力を超える人物のオーラに恐怖を感じたのである。

 

日観は「おぬしが感じた殺気は、おぬし自身が発している殺気だ。」と武蔵に指南する。また、「おぬしは強すぎる。もう少し弱くなるがよい。」とも。

これが、どういうことを意味しているのか、小説には具体的に書かれていない。日観老僧の武蔵に対する言葉から、自分なりに考えてみるしかない。

「強いが兵法などと考えたら大間違い。-わしの先輩柳生石舟斎様、そのまた先輩の上泉伊勢守殿、そういう人たちの歩いた通りを、これからお身持ちと歩いてみるとわかる」

「ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは、心の修行をすることだ。また、諸国の地利水利を測り、土民の人情の気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか城下から城内の奥まで見極める用意をもって、海内くまなく足で踏んで、心で観て歩くのが武者修行というものだよ」

 

武蔵は、この言葉を聞き、柳生家の大祖・石舟斎に会ってみたいと強く思う。

「死を賭してよい、柳生宗厳に面接して一太刀打ち込まねば、刀を把る道に志したかいもない」

もう隠居している石舟斎と会うために、武蔵は一計を案じる。石舟斎の四高弟との戦いに挑むのである。果たして、その真剣勝負の場に、聞き覚えのある笛の音が・・・。それは、石舟斎のもとに仕えていた、お通の笛の音だった。心を乱した武蔵は、試合を捨てて逃げる。そして武蔵は柳生のもとを去り伊賀路へ向かう。


それを追って、お通もまた柳生を去る。
武蔵の剣の旅とともに、お通の切ないドラマもまた続くのである。