「坂の上の雲(1)」の「馬」の章
正月休みのようにいくらでも時間があると思うとなかなかできないのが「読書」である。休みに入る前には、「時間があるからたくさん読めるぞ」と思うのであるが、休みにはいってしまうと、飲んで、食って、寝て、とそちらのほうが忙しく読めないのである。なので「一日一章」くらいの目標設定で読んでいこうかと思う。
今日は「馬」の章を読み進めた。
「馬」というタイトルだが、これは騎兵隊の馬のことである。従って、兄・好古についての話である。
好古は、旧藩主のおつきの関係から、渡仏し、フランスの軍事について学んでいる。
老教官カルバティエの講義で学んでいるわけだが、この教官自身が「騎兵というのは無用の長物だ」と認識していた。一部の天才だけが使える手法であるとの認識だ。
老教官はその天才として4人の名を挙げた。すなわち、、、
・ジンギス汗
・ナポレオン一世(フランス)
この4人の天才だけが、意のままに騎兵を活用できると。
それを聞いて好古は、日本人の2名の歴史を語った。
すなわち、鵯越えの源頼朝、桶狭間の戦いの織田信長も、騎兵隊の使い手であったことを説明し、カルパンティエにもその追加について認められたようだ。
そんな天才しか活用できない兵法、天才でないものにとっては「無用の長物」と化してしまうもの、そんなものを好古自身が活用できるのだろうか。学んで活かせるのであろうか。
しかし好古は、源義経や信長と同様の騎兵隊を使える天才の一人なのかもしれない。
日本陸軍がフランス式をやめてドイツ式にせよと公示したにもが関わらず、フランスで馬術を研究した好古の結論は、「馬術はフランス式を習得すべき」であった。
フランスの馬術は自然であり柔軟だが、ドイツの馬術は形式的であり規律的であって、実際の戦いに有効なのはフランス式であると判断したのだ。
日本の考え方がドイツ化していき、陸軍大臣の山県有朋も完全にドイツ好きとなっていたが、その山県がヨーロッパ視察でフランスを訪れた際、対応に出た好古は、「馬術におけるドイツ式の欠陥、フランス式の超越性」を説いたのであった。
つづく。