ドナルド・キーンの「思い出の作家たち」
2019よいよ師走に入った。今年も様々なニュースがあったなかで、ドナルド・キーン氏が亡くなったというのも、今年前半の記憶されているニュースの一つだ。
今調べてみると1922年生まれで没年齢は96歳。日本に留学で来られたのが1953年(昭和28年)で、日本国籍を取得されたのが2011年だから、日本研究は66年以上、日本人歴は8年ということになるか。ともかく、日本についての知識は、どんな日本人も足元にも及ばないかもしれない。そんなキーンさんのエッセイを読んでみたくなった。
「思い出の作家」たち。
キーンさんの生涯において、心に残る5人の作家がセレクトされている。
谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、阿部公房、司馬遼太郎の5人。
昨日、今日と一泊の人間ドックに行った際に、診察の待ち時間の読書用として、この「思い出の作家たち」と芦田愛菜ちゃんの「まなの本棚」の2冊を用意していったが、前者は硬めで、後者はほのぼのだ。
それで、キーンさんの本の最初に登場したのが谷崎潤一郎。なんと芦田愛菜ちゃんも、谷崎潤一郎の「細雪」を読んでいたからびっくり。自分は、谷崎潤一郎は、一冊も読んだことがない。
キーン氏から見て谷崎氏は日本文学界でも偉大な人物ととらえていたようだ。日本に来る前から谷崎研究にターゲットを絞り、わざわざ留学先に京都を選んだようだ。最初の接点は、谷崎宅に「蓼食ふ虫」の翻訳稿を届けるという役目を担ってということだったらしい。りっぱな邸宅で、鹿威しの音が響き、和服姿の谷崎が出てきたそうだ。
そんな話に続いて、谷崎のキーン氏からみた人物像が描かれている。が、どういったらいいのか、自分がそこから想像した谷崎像は、エロおやじ、西洋かぶれなどのマイナーなイメージが強かった。
キーン氏は、谷崎の作品は「告白目的でなく、いかなる哲学も主張せず、倫理的でも政治的でもないが、文体の大家の手で豪華なほど精緻に作られている。人生いかに生きるべきかの知恵とか、現代社会の罪悪に関する鋭敏な分析とかを求めて谷崎を読む者など一人もいない」といい、「文学なればこその喜びや、人間にとっての永遠不変な事象の反映を求める読者にとっては、谷崎を越える作家を発見することは不可能」と述べている。
女性好きと気ままな私生活は、倫理的でないのかもしれないが、それはもっと文学的な生き方といえるのかもしれない。生き方が凡人にはわからない芸術性をおびているのか?少なくとも、芦田愛菜ちゃんを読者として満足させるからには、文学として魅力があるということであり、これは「未読」で評価するのではなく、ともかく「細雪」はどういう作品なのかを確かめてみる必要がありそうだ。
ついで、川端康成。川端康成といえばノーベル文学賞だが、そのノーベル賞受賞に関する経緯について、身近にいたキーン氏が語っている。本書を読んでみると、当時の実力的には三島由紀夫が第一候補だったように書かれていた。そして、川端自身が三島の才能を認めていた。
そうであるのに、川端がノーベル賞を受賞し、その後に三島が自殺をしたことで、川端は二重の苦しみを感じていたようだ。それが川端の自殺の要因だったかどうかは定かではない。ちなみにまなちゃんは、「雪国」も「伊豆の踊子」もちゃんと読んでいる。
三島由紀夫。キーン氏は三島由紀夫との交流も深かった。三島由紀夫の最後の長編小説「豊饒の海」の原稿に記された完成日は、三島の割腹自殺の日付(昭和45年11月25日)となっていたという。
その最終章の原稿をキーン氏が預かったのは8月だった。すなわち三島にとって、自決する日は決まっており、その自決の日にこの小説が完成せねばならなかったということだったという。キーン氏は、その謎について解明することができたのだろうか?
こういう謎の存在を知ったならば、その「豊饒の海」はいずれ読まねばならないな。
さすがに、愛菜ちゃんの本棚紹介にこの本は登場しなかった。
阿部公房の「砂の女」はかろうじて過去に読んだことがある。阿部氏があのカフカを敬愛していたとは本書を読んで初めて知った。
そして、司馬遼太郎。ともかく、司馬は知識が莫大で、キーン氏と対談したときにも、キーン氏が答えやすい話題を提供しながら、話をどんどん展開していくというので、キーン氏が驚嘆し、非常に尊敬もしていた。感謝もしていた。あのキーン氏を驚嘆させるほどであるから、司馬氏の莫大な知識というのは想像を絶する。
キーン氏曰く。「私は司馬の著作を高く評価しているが、小説家としてよりも、素晴らしい人間としての彼が、私の記憶の中で生きている。私のこういう見解は、作品に全身全霊を捧げていた彼をがっかりさせるだろうが、成功した作家を発見することなどより、司馬のような人物を見出すことのほうが、よっぽど稀有なのだ。彼は立派な男であった。その意味は、単に間違いをおかさない、といった月並みなことではない。愛国的な情熱によってではなく、日本人であることの、歴史を通じた冷静な認識によって、彼の著作は国民全体を鼓舞したのである。」