気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「閉鎖病棟」

 

 

帚木氏は、先日「ネガティブ・ケイパビリティ(答えの出ない事態に耐える力)」という著書を読んで初めて知り、精神科医で小説も書かれているんだ~という関心が、本書を読んでみようという動機となった。

 

冒頭から、まったく関連性がないと思える話が3話展開される。

産婦人科を堕胎目的で訪れた14歳の少女・島崎由紀にまつわるあるシーンの描写。続いて、戦争で負傷しながらも帰還した父親と、不貞な(というのは後に判明するが)母親を持つ・梶木秀丸の少年期のあるシーンの描写。そして昭八さん(苗字あったかな?思い出せない)の少年期の、よい思い出と忘れたいようなつらい記憶のシーンを描写している。それぞれが、短編小説のような展開だが、これが後々の「閉鎖病棟」で展開される出来事のための伏線となっている。

 

閉鎖病棟」とは、入所者の外出が制限されていたり、入所者との面会が制限されているような精神病棟のことを意味している。この表現そのものが適切かどうかということもありそうだが、若干古い小説でもあり、そこは触れないでおきたい。

 

実は先の3つの話の主人公は、この病院へ通院する患者であったり、入所している患者であったりする。そして、その病院に入所する様々な患者の日常や、そこで従事する主治医や看護師などの日常、つまり病院での日常的な様子が小説に展開されている。そしてこの小説全体は、チュウさんという人物を中心に描かれている。チュウさんは、この病院の入所患者であり、多くの入所者からも、医療スタッフからも人気のある人物である。

 

著者は精神科医であるだけに、著者自身の日常が、この小説の素材となっていることは明らかだ。もちろん、登場人物は架空の人物であろうが、その人物像については、著者の経験則からストーリー構築されているはずだ。それぞれの人物の家族構成とか、過去の出来事とか、そういうことが小説でありながら、リアリティを帯びている。

 

島崎由紀には、想像を超えるショッキングな背景があった。このキャラクター設定をした著者について様々に考えてしまう。現実にもこのような悲劇の患者は多く存在するのだろうか。そういう患者のモデルを小説の素材として書ける著者は冷淡ではないのか。いやいや著者はそういう患者の心も十分理解したうえで、小説を通じて読者になんらかのメッセージを伝えようとしているのか。

 

この小説の中に、読者を腹立たしい気持ちにさせる何人かの人物がいる。最も問題ありの人物像として描かれている重宗(やくざで、暴力的で、身勝手で、非情な行動をとった人物)でさえも、及ばないもっと醜いと感じる人物像が描かれている。

 

島崎由紀の母親やその再婚相手の義父(これが最悪)、秀丸さんの浮気性の母親、聾唖の昭八さんを小ばかにする義兄、そしてチュウさんの退院を醜く拒否する妹夫妻。

 

いったい心の病気とは何なのか。
思いがけない人生の流れの中で、殺人者や放火者になってしまい、それが理由で「精神的に病むもの」となってしまうものがいる。一方、明らかに純粋な心を自分の身勝手のゆえに踏みにじろうとする「醜い心」を持つ者もいる。

 

閉鎖病棟に隔離されてきた登場人物の中に、純粋な心が存在していたり、閉鎖病棟の入居者を外から見下す人たちの心の中に、醜さを感じたり。そういうことを考えさせてくれる小説であり、おそらくこれは、ごく一般的な日常の中にあるんだろうと思う。