介護日記5:三好春樹先生のオンライン講義を聴く
介護のススメ・夏篇 講師:三好春樹 ~いい介護ってなんだろう~Withコロナの時代に濃厚接触の介護はどうなる?
この4月より現在の介護施設に就職したのだが、そこの施設長さんからこの三好先生のことを紹介してもらった。もちろん、この業界が初めてのこともあるが、三好先生のことは全く存じ上げなかった。今回初めて聞いて、非常にアカデミックにかつ実践的に介護のことが学べてとてもよかった。
仕事の技量を経験の上から向上させていくことも可能だが、もともと知らない世界であるので、もっと視野を広げて、色々な方向へ興味をもったり、探究心を広げていくきっかけとなると感じた。
以下、自身の受講メモを残しておきたい。但し、まったくの個人メモ的な書き方となるはずである。
最初に書籍の紹介
◆「認知症の人のイライラが消える接し方」 植賀寿夫
方法論でなく、エピソードを積み重ねていくのが介護。
本書もそういうエピソードが満載。発刊後、さっそく重版になっている。
◆講師の介護職を始めたばかりの頃のエピソード
老人が元気になった→その理由を考えてみた→嫌がることをしなかった
・「嫌がることをしない」というのは簡単なようで、簡単なことではない。
(風呂に入りたくない・・・入れなくてよいか?)
・「自己決定の原則」ではない。これは自立した人に対する原則。
・専門性の高い人ほど、老人の嫌がることをしがち?
いい介護をするには?・・・老人の「できること」「できないこと」を考える
・医学は「治す」ため、介護は「治らない」と分かったそのあとのこと
◆医療と介護の比較
・医療は「治療の場」、介護は「生活の場」
・医療は「非日常」、介護は「日常」
・医療の対象は「患者」、介護は「主体(他人が勝手に決めない)」
・医療の根拠は「病理学」、介護は「生理学」
・医療は「専門性」で対処、介護は「常識」で対処
※専門性(専門家)と常識(介護職)とが相反した場合は、迷わず「常識」。
専門性は時代とともに変わることがある。常識は長年の人々の知恵の蓄積。
☆新型コロナ禍情勢下では、介護<医療となっている。
感染症蔓延(非日常)で、いかに介護の原則である「日常」「主体」を守るのか。
育児、介護はテレワークは不可。
「介護の社会化」=社会で起こっていることは介護現場でも起こる。
感染リスクを「0」にしようとすると、介護不可となる。介護原則は崩壊する。
→バランス感覚と常識により、医療原則の仮説に従い、介護の原則を極力守る。
マスク(医療の原則)→認知症の人はできない(快・不快の原則:フロイト)
→できない人の例外を作り、家族も含めて話し合いをし、記録も残す。
どれだけ「いい例外」を作れるかが、現況下のよい「介護現場」
医療:明日、明後日のために今日を犠牲にする(病気という特別のとき)
介護:明日、明後日のために今日を犠牲にすることはない(今日が一番いい。
明日、明後日になるとさらに老化する)
◆写真集の紹介
◆政治の動向
損保会社が介護職員の配置基準の見直しを提案(介護職員を減らす提言)
その根拠はAI(ケアプランの作成をAIにやらせる)
※AIにできる程度のケアプランしか作れないケアマネも多いが・・・。
※本当にすぐれたケアプランはAIにはできない
AI化、ロボット化
→三好先生の代弁「ヴィーコ:すべての単純化(形式化、数量化)するあの恐ろし
い人達」
◆介護という言葉:介護の「介」=媒介の「介」:きっかけになるという意味
ヘーゲルのvermittlung(他のものを通してあるものを存在せしめること)
→他のもの:介護職
→あるもの:主体としての老人