気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

定年考

「何のためにブログを書いているのか」を考えることがよくある。

このブログは、現在の住居への引っ越しを機に初めた。動機は「転居記念」の開設と、「転居後の足跡記録」という、いわば「ダイアリー的なものだろう。そこに日々の読書の記録なども絡ませて、自己満足の「読書日記」である。

 

積極的に交流するパワーが乏しいにも関わらず、時々記事を読んでくれている方がいて、見ず知らずの人間のこんな記事を読んでくれたのだと、ありがたい気持ちになる。

 

さて、ついに人生初の「定年」というやつを迎えることになるが、こういう個人的なイベントは、他人にはあまり関係のないことで、本当に自分だけの日記に記しておけばよいことだが、「転居後の足跡」と位置付けたためとりあえず記しておきたい。

 

「定年」という言葉が、自身に身近なものなってきた2年前、書店の平積みで「定年前後のやってはいけない」という本が目に留まった。

 

定年前後の「やってはいけない」 (青春新書インテリジェンス)

定年前後の「やってはいけない」 (青春新書インテリジェンス)

 

 

書店でも、やたら「定年」をテーマとした本が多くなったなと感じる。当時、この本の帯の記述に興味がわいて買ったのを記憶している。帯の表紙側には、次の3つの箇条書きがあった。

①「✖ 雇用延長で働く」

②「✖ 資格・勉強に時間とお金を使う」

③「✖ 過去の人脈で仕事を探す」

 

本書を読んだからかどうか、自己選択の結果は、①と③は実行、②は資格を取るために少々時間とお金を使った。

 

これまで人事の仕事にも少々携わってきたが、定年を迎えたほとんどの方は「雇用延長」を選択する。そこには、安定、これまでの人間関係の継続、手続きの簡易さ、などの理由が浮かぶ。これに対し、「さらに安定」の場所があるか、「人間関係を継続したくない」という考えがあると、この選択を行わない場合があると思う。自分は後者だ。

 

これはある意味サバイバルな選択であるが、長いサラリーマン生活において、初めて「自己決定」したというような感触がある。単調な一本のレールにのっかって、多少車両間を移動したことはあったとしても、同じ電車にずっと乗り続けてきたが、ここでやっと終点の駅に着き、次にどの手段で先に進むかを「自己選択」したという感じだ。

 

おそらく「雇用延長」を選択した場合は、また「同じ電車での車両間移動」くらいの感触しかないと思う。一方「自己選択」は、新しい列車、新しい景色が見えるだろう未知の路線、新しい土地への出発というワクワク感が伴うのである。乗車している仲間もまた違うのであり、新しい出会いも期待できるのである。

 

よく「第二の人生」と言われるが、「雇用延長」選択の場合は、「第一の人生」の延長であり、「第二の人生」の新鮮さを味わうには、「自己選択」のほうだと個人的には感じている。もちろん、心の持ちようの問題であろうが。

 

自分の「自己選択」は、職業としては全く未知の世界である「介護職」のゼロスタートを選択した。客観的に見て、「安定」という要素からすると「雇用延長」のほうが格段に有利である。少々サバイバルな選択であるとも思う。現状、労働条件的にはまだまだ厳しい職種であるとも感じる。

 

だけどもこれから社会の需要が高まっていく職種であり、おそらく5年後にはその需要がもっともピークに達することが予測されるので、その時に一人前の仕事ができる準備として今から少しずつ勉強をして力をつけていきたいと考えている。何より「人間力」が鍛えられる職種であることは個人的な魅力である。あるいは人の「老」「病」「死」に接しながら、一人ひとりの幸福のサポートに携わるというのは、「第二の人生」のテーマとしてもよいテーマだと感じている。

 

この職種への就職の場合、過去の人脈など一切不要である。現状、介護職人口は不足気味で、よく言えば「引く手あまた」であり、今後ますますその傾向は増すはずだ。いわゆる団塊の世代が要介護となっていく時期が目前まで来ている。逆に、これで介護職人口が少ないままであると現状の過酷な労働条件がさらに悪化することも考えられ、やはりこの職種の選択はサバイバルでもある。

 

先日から準備として、最も基礎的な技術を身につけるための「初任者研修」というコースに参加した。これは「資格・勉強に時間とお金を使うな」という著者のアドバイスに反する行為である。しかし、この場合、この初期投資は非常に有効であると思う。介護職の労働条件や賃金体系が、こういう資格や技能のレベルで体系化されていることも今回初めて知った。

 

それにしても、これまで人生で皆無であったエプロンを身に着けての仕事。麻痺のある方との接し方、相手の立場を徹底的に考える歩行や移動、入浴、排せつなどのサポート。実践の現場では想像もできない苦労があるとは思うが、研修ではまったく新鮮であった。研修テキストの内容も、マズローの心理学もあれば、脳の機能など医療の勉強もあり、こんなに広く深く勉強が必要なのだと改めて感心した。

 

また受講者も老若男女混成で、そこに役職のヒエラルキーもなく、笑いがとびかう授業であった。これまで勤務していた会社の階層別研修や、企業側の義務を果たすための事務的な研修、誰も発言しないシーンとした講義、受講した日だけはその気になるがすぐに忘れ去られる研修ではなく、実践に直結した研修という味わいがあった。

 

雇用保険について、ハローワークに事前相談にいってみた。給与明細をもって、雇用保険(失業手当)の金額を試算してもらったのだ。自分で計算できるサイトもあるが、それで計算した数字があっているのかどうか心配なので、実際にハローワークの窓口で計算てもらったら、ほぼ合っていて確信が持てた。

 

これまで従事していた仕事と違う仕事に就く場合には、職業訓練を受けるという方法もある。一般的な定年退職の場合(60歳退職で20年以上勤続の場合)は、雇用保険は150日分支給されるが、仮に職業訓練が6か月ある場合では、その期間つまり180日分(6か月分)を受給することができるというメリットがある。

 

しかも、通常の定年退職なら、雇用保険は退職日以降、待期期間の7日+3か月は受給できないが、職業訓練を受ける場合には、上記の3か月を待つことなく受給を開始することができるというメリットがある。失業手当をもらいながら訓練を受けることができるのだ。これまで雇用保険料を支払ってきたのだから、そういう制度を利用しない手はないとも思う。

 

最後に「雇用継続しない」を選択するもう一つのメリット。

保有している年次有給休暇を躊躇なく消化できるということ。雇用を終了するので、後腐れがない。きちんと権利を主張することが可能。最近では「働き方改革」と言われるが、まだまだ「年休を取るのに遠慮がある」という実態がある。まとめて休みをとることなど、なかなかできるものではなかった。ちょっと休むと逆にイヤミのひとつも言われるのが実際である。

 

であるが、こういうときこそガッツリとって、これまでの骨休めをすることが可能なのである。時間をとって「第二の人生」のための体のメンテナンス、体力作りが必要と感じる昨今である。