気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

佐藤優さんの「教養」とは

 

人をつくる読書術

人をつくる読書術

 

 

タイトルに魅かれて購入した。帯には、「作家、外交官、教育者、キリスト教者ー多彩な顔を持つ筆者が教える『読書の哲学』」とある。
 
そういう訳で、本書の章立ては次のようになっている。
第1章 作家をつくる本の読み方
第2章 外交官をつくる本の読み方
第3章 人間をつくる本の読み方
第4章 教育者をつくる本の読み方
第5章 教養人をつくる本の読み方
第6章 キリスト教者をつくる本の読み方
 
すなわち著者が、自身が築き上げてきた多彩な側面の礎としてきた読書について、その考え方や方法、あるいは影響を受けた本などについて述べた本である。
 
編集に対する望みを言えば、作家、外交官、・・・を通じて、総合知である「教養」を確立し、最後に「人間」をつくるという構成と内容にしてほしかった。この構成では、最終目的がキリスト教者をつくることであるかのような誤解を招く可能性もある(本書は、そういう目的の本ではありません)。
 
作家にも外交官にも教育者にも縁遠く、宗教は仏教という私にとっても、著者の人生における読書のポジショニングを学べるという点で、非常に興味深く読めた。なんといっても読書の超人なので。
 
「知の怪物」とも呼ばれる著者だが、やはり中高生の頃から大人顔負けの読書をされている(量も内容も)。そして読書環境にも恵まれていた。「私は両親をはじめとして、塾の先生、親戚、キリスト教関係の人など、その時々に応じた指導者に恵まれました」と著者は語っている。
 
その体験を通じて、「幼少期や中高生時期に、こういう読書をしておくとよい」というようなアドバイスも多く込められている。そういう意味で、本書の主な対象読者は、より若い世代と言えるだろう。
 
読んでみて「もう若い頃には戻れんよ。もはや手遅れでんがな(笑)」と感じつつ、「青春出版社」ならしかたないか・・・と許した私ですが、同社から「定年前後のやってはいけない」という本が出ているのは解せぬところではあります(笑)。
 
まず、「まえがき」で著者の「教養」の定義になるほどと魅かれました。「教養とは、想定外の出来事に適切に対処する力である」。知識の断片だけでは対応できず、情報力、洞察力、想像力、分析力、判断力など、その人の全人格(能力)が試され、総合知が不可欠で、それこそが教養だと。
 
知識の蓄積だけでは「教養」があるとは言えない!
 
以下、著者の考え方で興味深かった点。
●とにかくいろんなジャンルの本を多読することがオススメ。限られた時間で効率的に本を読むことを考えるなら「古典」(書店の書棚に10年間残っているような本)を読むのが一番とのこと。
・・・多くの人が共感できる本を読むのは、確かに効率がよいと納得。新しいものを読みたいという自然な欲望を抑えきれないのも事実ではありますが。
 
特に外交官の道では、利害の対立する国や地域、組織、集団についての知見を持つことが大前提ということで、交渉の際にも、相手の言葉だけでなく、歴史、文化、思想、宗教など基本的な思考の形態、判断、行動の基準など(内在的論理)を知っていることが重要であると。そういう場合にも相手国の「古典」を読めばそれが詰まっていると。
※「神話」には、その国民の「潜在意識」が反映されているというユングいうの考えの引用もあり。
 
小説をたくさん読むことで、重層的、複眼的視点でとらえる力が訓練できる。一面的な物の見方しかできないと、相手の言葉や反応に、好悪、善悪、是非、可不可といった単純な反応しかできなくなる。
・・・これは人間関係などでも大事な視点だなと実感。
 
「文学は一種の予防接種」という考え方も面白かった。作品には、魅力的な人物や生き方、考え方だけでなく、人間の卑俗な部分、見たくな悪の部分も描かれており、それらの疑似体験が、その後の人生で抗体のように働き、免疫力が確実にアップすると。
・・・そういう意味でも、自分の好みの枠を設けず、好みの反対側の読書もまた大事だなと感じました。
 
本書で一番面白かった著者の考え。
哲学とは思想の「鋳型」。哲学に限らず読書というのは、「型」を知るという意味で非常に大切。哲学を学べば思想の鋳型が、心理学の本を読めば心の型が、文学を学べば人間の型がわかるようになる。「型」を知り、それを身につけることで、我々はさらにその「型」を破って新しいものを手に入れることができる(これを著者は「型破り」と表現している)。
※「型」を知らずにやるのは、「でたらめ」だとも。
・・・「型」を鵜呑みにするだけでもダメで、そこを破るところまで述べているところが著者のスゴイとこだと感じます。
 
教養をつくる読書に、「通俗本」を推奨されていた。いきなり専門書に入るまえに「通俗本」を読めと。だけども、「通俗本」にも、本物の専門家が書いたものと、全くの門外漢が書いたニセモノがあるので要注意と。
 
最後に、キリスト教の話も非常に興味深かった。
ドイツの神学者シュライエルマッハーの「宗教の本質は直感と感情である」という考え、「神は人々の心の中に存在すものだ」というのは、仏教と近い考え方だと感じた。
 さらに、そのマッハーに批判を加えたスイスの神学者カール・バルトの「人間の意識と感情に神をつくる部分はあるにしても、そういう意識をもつ人間が生まれたのは、人間の外に神が存在していて、その力によって、人間の意識と感情にその種を植え付けている、影響を与えている」「不可能の可能」の考え方は、心と宇宙が連動しているとする仏教の考え方にさらに近いと感じた。
 
著者の父は無神論者で、母親は信仰深い人だった。そんな両親の両方の影響をうけながら、若いころから宗教についても、学問についても、本人の自主性が尊重されてきたようだ。学問についても、神学に興味を持つ反面、正反対と言えるマルクス主義に傾倒していた時代もあり、それらすべてが現在の著者の、客観的でなおかつ自分を失わない教養に繋がっているのだということが理解できる本でした。