気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「宮本武蔵」 風の巻

 

 ◆風の巻

 

「序の巻」に、「宮本武蔵のあるいた生涯は、煩悩と闘争の生涯」とあった。この「風の巻」では、その闘争の局面と、煩悩による心の葛藤が、特に色濃く描かれていた。何といっても、前巻「火の巻」から持ち越された、京の名門吉岡道場を率いる吉岡清十郎との対決シーンが待ち遠しい。五条大橋に高々と掲げられた公場対決の高札。そして蓮台野での対決。

 

しかし、この対決、あっけなく終わってしまう。武蔵の眼に映った清十郎は、京流第一の兵法者というより、都会的な線の細い公達だった。闘志も伝わってこず、すでに戦う前から決着はついていた。自らの剣を高めるために戦う武蔵は、この戦いを悔いた。決闘で片腕を失うこととなった清十郎に同情すらした。名門であるがゆえに、避けることのできなかった悲劇。


しかし、清十郎は負けて、この敗北が必然であったことを悟る。「考えてみれば、おれは吉岡拳法の子と生まれた以来、なんの修行らしいことをして来たか。おれは武蔵の剣に敗れる前に、一家の戸主として、人間として、すでに敗北の兆しをもっていた。」

 

兄の敗北による名門の汚名を晴らすため、兄よりも剣の実力は高いと言われる弟の伝七郎が、武蔵に決闘状を差し出す。再び蓮華王院での吉岡道場と武蔵の対決。この戦いでは実力は均衡しており、武蔵も相手の上手を感じざるを得なかった。武蔵は戦いに地の利を考慮した。相手より何尺か高い縁の上に立ち、三十三間堂の長い壁を背にして、背後からの敵を封鎖する位置を選んだのだ。武蔵が戦いの中から身に着けてきた経験則だろう。

 

吉川英治の座右の言葉に「我以外皆我師」がある。武蔵もまた、自分以外のあらゆるものを師として、自身の剣を磨いてきた。蓮華王院においても、気と気の闘いの末、精神力で勝った武蔵が、伝七郎を一瞬の一振りで下す。

 

武蔵は、人との偶然の出会いにも恵まれる。清十郎との闘いの後、刀の鑑定、絵、陶器、蒔絵、書で名高い本阿弥光悦とその母親・妙秀と出会い、そこから剣の道に通ずる何物かを感じ取る。さらには光悦に連れられ初めて行く遊郭で出会った吉野太夫との問答からも、また剣上達へのヒントを得る。吉野太夫は、持っていた琵琶をたたき壊し、その内部構造、特に横木のもつ抑揚と弛みの性質について語り、武蔵はこれまでの「ただ冷たく凝結していた自分」というものに気付くのである。

 

一方、後継者兄弟を失った吉岡道場では、門人全員が汚名をそそぐため、武蔵を亡き者とする計画を企てる。どんな手を使ってでも、武蔵を葬ろうという考えである。そんな吉岡門下と武蔵の対決に、何の関係もない男が、しゃしゃり出てきて立会人を申し出る。将来の宿敵、佐々木小次郎である。小説の中で小次郎は、高慢、軽薄、狡猾なキャラクターとして描かれている。一途な武蔵とは全く対照的だ。

 

吉岡も天下の汚名を晴らすために真剣、100名近い門人全員を相手にたった一人で迎え撃つ武蔵もまた命がけの真剣。そんな闘いに、勝手に立会人を宣言し、その双方を適当にけしかけて、ゲームのように傍観しようとする男が佐々木小次郎なのである。腕ばかりたつが、人間としての成長が伴っていない人物。どの時代にもいそうな危険人物と言える。

 

とにもかくにも、本巻の最大のクライマックスである一乗寺下り松の闘い。弓矢あり、鉄砲ありの、一対百の死闘。今回ばかりは武蔵も死を覚悟した。

「いかにしてこの二度と抱きしめることのできない生命との余儀なき別れにも、そのいのちに意義あらしめるか-価値あらしめるか」

「たとえ二十歳を出ずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとうの長命というものであろう」

「生命だけは終る時、捨てる時が最もむずかしい。それによって、その全生涯が定まるし、また泡沫になるか、永久の光芒になるか、生命の長短も決まるからである」

それでも、後に「二刀流多敵の構え」と呼ばれる、独自の水の流れるような、あるいは風のような戦いで、武蔵はこの戦いを制した。

 

本巻の硬のクライマックスが一乗寺の闘いのシーンなら、軟のクライマックスはお通との再会のシーンだろう。死を覚悟した武蔵は、決闘の前に再会したお通に自身の本心を語る。それによって、お通もまた積年の思いが成就するとともに、自らも死を覚悟する。死闘を制した武蔵は、剣への愛とお通への愛の狭間に悩む己心の闘いをも制することができるのか。

「宮本武蔵」 火の巻

 

 ◆火の巻

 

「火の巻」は、伏見城の築城現場から始まる。
著者、吉川英治のカメラワークは、大河ドラマを見ているように場面が切り変わっていく。秀吉の天下から徳川政権に移行し、徳川ならではの政策が、城普請として展開されている。譜代の心の緩みを規制しつつ、外様の蓄財消耗の狙いもあり、はたまた雇用拡大による景気向上で庶民をも喜ばせる効果もあったようだ。

 

伏見城の土木作業員(石積み)の中には、あの又八がいる。そしてもう一人、武者修行風の男が、その築城の様子を見ながら図を描きとっている。

小説の章タイトルは「佐々木小次郎」。
その武者修行者は、手に包みを持ち、その中に中条流の印可目録を持っている。そこには「富田入道勢源門流後学鐘巻自斎 佐々木小次郎殿」と書かれている。あごや耳の後ろや手の甲にかなりの刀痕がある男・・・この男が、城のスパイ容疑で撲殺されてしまう。

佐々木小次郎って、こんな風貌だったっけ?こんな簡単に死ぬわけないよな・・・不死鳥の如く甦るんだったかな?・・・と、吉川英治のフェイント攻撃にまんまと惑わされてしまう。実はこの男は、実は自斎の甥で、小次郎の「印可目録」を預かって渡そうと旅をしていた天鬼という男。

 

ここでその「印可目録」に目を付けたのが又八。それを盗み、自身が「佐々木小次郎」と名乗り、なりすましで世を渡って行こうとする。この「いい加減さ」が武蔵と対照的で小説を面白くしているところの一つだ。

 

なぜか気になるのは又八の親「お杉婆」の又八に関する過干渉。「この親にしてこの子」なのである(笑)。

 

さて、その後の章タイトル「美少年」のところで、本物の小次郎が登場する。長身でハンサム、背中に「物干竿」と呼ばれる伝家の長剣を背負い、子猿を一匹連れているニヒルな男。ニヒルというより生意気というべきか。舟の中で、吉岡門下の祇園藤次とからむが、小次郎をなめてかかった藤次の頭の髷を、一瞬の刀裁きで斬りおとしてしまう。凄腕である。燕返しのチョイ見せシーン。藤次の恥さらしを知った吉岡の門人たちが数人、看板の汚名挽回を図ろうとするが、予想通り小次郎に軽くあしらわれて逃げ帰る始末。

 

吉岡と柳生の違いを考えてしまう。柳生は、技から心へと磨きをかけて発展して行ったのに対し、吉岡のほうは親の七光りで息子兄弟が遊興にふけり、技さえ錆びついてきている。後継者が人材か否かがポイントだ。

 

一方、武蔵はより高みを求めて、修行の旅を進めるが、途中足を負傷し悪化させてしまう。ストイックな武蔵は、その痛みさえ自身が乗り越えるべき敵とみなす。
「この敵にすら克てないで、吉岡一門に勝てるか。」

そしてそれを信念で乗り越えようとする。
「彼の頑固な信念に、病魔も負けて、幾分か頭がすずやかになった」

「勝つ」と言う事への執念が凄まじい。

 

自信を未熟と認め、雲上の人と仰ぐ柳生石舟斎に対しても、「必ず超える」との一念を一時も忘れない。目前に現れた鷲ケ岳の岸壁を、負傷した足のまま登り始める。鷲ケ岳を石舟斎とみなし、それを登り切って、足で踏みにじってやろうと本気で実行に移す、そういう執念である。「必死」とか「覚悟をする」とかは、武蔵にとっては当たり前のこと。彼が悩むのは、必死の覚悟がもてないことではなく、「絶対に勝つ」という信条をつかむことだった。

 

頂上直前。
「もう一息というところの苦しさは、言語に絶したものだった。それはちょうど、斬るか斬られるか、力の互角している剣と剣の対峙に似ている」

 

鎖鎌の達人・宍戸梅軒(実は武蔵が関ケ原後に撲殺した辻風天馬の弟・辻風黄平だった)との絡みをへて、武蔵は吉岡と約した決闘のため京に向かう。武蔵から吉岡へ出した果たし状は先方の手に届いた。吉岡では、対決の日を年明け一月九日とし、場所は蓮台寺野という高札を五条大橋のたもとに立てた。

 

また、武蔵から又八へ送った「一月一日の朝、五条大橋で会おう」という手紙をめぐって、その内容を知る朱実、お通、城太郎らが集まってくる。そしてまた時を同じくして、武蔵の命を狙うお杉婆の姿もある。吉岡清十郎とつるむ佐々木小次郎の姿もある。皮肉なことに当の又八だけはその手紙の内容をしらされていない。そういう、一人ひとりの人間模様もまたリアルにありがちで面白い。

いよいよ「風の巻」では、武蔵と吉岡の決戦である。

「宮本武蔵」 水の巻

 

 ◆水の巻

 

信長が桶狭間の戦いのおり吟じたという幸若舞「敦盛」の一節、「人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」から「水の巻」は始まる。明日は知れない今日の生命。

 

武蔵の剣にかける人生がスタートした。著者は、この言葉でその武蔵の胸のうちを表現したかったのだろうか。短い人の一生において、可能な限り自らを磨き続けたいと。武蔵は、17歳にして故郷を出、18歳~20歳の3年間、池田輝政の姫路城の天守閣にある一間で学問に専念し、21歳から自ら決めた剣の修行を開始した。

 

京の西洞院四条に吉岡拳法と言う剣の名門があると聞き、門を叩く。自らの剣を試し、さらなる上達のための何物かを得るためである。吉岡道場の門を叩いた武蔵は、「ただ独り山に籠って、樹木や山霊を師として勉強。これという師もなく、流派もない。将来宮本流を立てたい。」と自らを語った。武蔵のやり方は、半ば「道場破り」的な飛び込みによる他流試合方式だ。ただ、そこの看板を取ろうとか、金にしようとか、そういう裏は全くない。純粋に自分の剣を試したい、磨きたいという一心であった。

 

このやり方は、一つ間違えば、命を落とし、クズのように捨てられてしまう。相手は名門、確立された技術があり、実力も実績もあり、さらには名門のプライドもある。普通であれば、勝てる確率はかなり厳しいと考えるものだろう。まさに命を賭した人間錬磨の道と言える。

「将来宮本流を立てる」という大志。大目標の設定、そのための実行計画、勇気と強い意思。ビジネスでも、スポーツでも、勉学でも、はたまた人生全般においても参考にはなる。しかし、武蔵のごとくどれだけ自分への厳しさに耐えうるのか・・・。

 

そしてまた武蔵は、「ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力が、自分で卑下しているほどに拙いものではない」とも感じていた。自らの信念を貫いて、努力に徹してきたことは、自分で考える以上に世の中に通用するという事実も、様々な分野に共通する真理として、努力する者への励みとなる。

 

小説としては、強い相手に挑むハラハラ感と、その相手を一撃で撃破してしまう武蔵の凄腕に爽快感を感じつつ、旅をともにすることになった少年・城太郎に対する兄貴兼師匠としての温かい眼差しもまた爽やかである。

 

武蔵は、吉岡道場で門人をことごとく倒した後、大和路へ向かい、槍で名の高い宝蔵院を目指す。そして宝蔵院でも二代目胤舜不在中に、その高弟阿厳を一撃で下す。一撃で即死と、武蔵の剣はすさまじい。武蔵と阿厳の戦いの前に、武蔵は不思議な老人と出会う。すれ違い様にものすごい殺気を感じるが、その老人はこの戦いの前に、すでにその結果を予測していた。

「阿厳、無駄じゃよ、その試合は。-明後日にせい。胤舜が戻ってきてからにせい。」と。

この不思議な老人は、宝蔵院二代目の胤舜に槍の技を伝授したという奥蔵院の日観という人物であった。武蔵は、初めて自分の実力を超える人物のオーラに恐怖を感じたのである。

 

日観は「おぬしが感じた殺気は、おぬし自身が発している殺気だ。」と武蔵に指南する。また、「おぬしは強すぎる。もう少し弱くなるがよい。」とも。

これが、どういうことを意味しているのか、小説には具体的に書かれていない。日観老僧の武蔵に対する言葉から、自分なりに考えてみるしかない。

「強いが兵法などと考えたら大間違い。-わしの先輩柳生石舟斎様、そのまた先輩の上泉伊勢守殿、そういう人たちの歩いた通りを、これからお身持ちと歩いてみるとわかる」

「ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは、心の修行をすることだ。また、諸国の地利水利を測り、土民の人情の気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか城下から城内の奥まで見極める用意をもって、海内くまなく足で踏んで、心で観て歩くのが武者修行というものだよ」

 

武蔵は、この言葉を聞き、柳生家の大祖・石舟斎に会ってみたいと強く思う。

「死を賭してよい、柳生宗厳に面接して一太刀打ち込まねば、刀を把る道に志したかいもない」

もう隠居している石舟斎と会うために、武蔵は一計を案じる。石舟斎の四高弟との戦いに挑むのである。果たして、その真剣勝負の場に、聞き覚えのある笛の音が・・・。それは、石舟斎のもとに仕えていた、お通の笛の音だった。心を乱した武蔵は、試合を捨てて逃げる。そして武蔵は柳生のもとを去り伊賀路へ向かう。


それを追って、お通もまた柳生を去る。
武蔵の剣の旅とともに、お通の切ないドラマもまた続くのである。

「宮本武蔵」 地の巻

 

 ◆地の巻

 

あの関ケ原の合戦後の、死の骸が転がる荒れ果てた戦野のシーンから始まる。武蔵(たけぞう)と村での親友・又八が、自分たちが「生きている」ということを自覚するシーンから。

 

二人は関ケ原の西軍の雑兵としてこの合戦に、ただ「よい働きをして名をあげよう」くらいの、若さからくる無謀の勢いで参戦していた。武蔵は腕力だけには自信があり、友の又八を誘い出す。一方の又八は優柔不断な性格。許嫁のお通を残し、武蔵とともに軽薄なノリで出てきたのである。

 

ここから主人公・武蔵の人生の転換が描かれていく。優柔不断で苦悩と煩悩に振り回される又八は、名わき役である。武蔵は、敗軍の残党として、徳川の追手から逃げ伸びて、故郷の宮本村へたどり着く。そしてそこで村の人々とのドラマが展開される。

 

武蔵の父は、かつて兵学の指南役として新免家に仕えていた。姉のお吟は、その父の娘として凛としている。又八の許嫁・お通は、みなしごとして寺に預けられて育った清純な女性。寺の住職・沢庵は、若いけれども仏教に基づくしっかりとした哲学と信念を持っている。

 

徳川の追手・青木丹左衛門は、徳川方・姫路城主の池田輝政の家中だが、武蔵捕獲のため宮本村に入り、村人への迷惑行為を繰り返す。

「領主に仕えて忠、民に接して仁、それが吏の本分ではないか。しかるに、農事の邪げを無視し、部下の辛苦も思いやらず、われのみ公務の出先、閑をぬすみ、酒肉を漁り、君威をかさに着て民力を枯らすなどとは、悪吏の典型的なるものじゃ」と三十代の沢庵が、四十超の青木を説教してやりこめる。

世相に対する風刺を登場人物に語らせる小気味よさあり、またそれによる登場人物のキャラクター作りはさすが天才的だ。

 

青木にはどうしても捕獲できない野獣のような武蔵を、沢庵が、自分が捕獲するから、その武蔵の事後処置は自分に任せろと提案し、その交渉が成立する。

沢庵「さ、ここで陣を布くのだ。さしずめ敵の武蔵は魏の曹操、わしは諸葛孔明というところかな。」

沢庵は、武蔵を捕え(というより最後は武蔵が沢庵に身をゆだね)、それにより武蔵は、野獣のような人間から、本来の人間として生まれかわっていく。

沢庵「たとえば、おぬしの勇気もそうだ。今日までの振舞は無智から来ている命知らずの蛮勇だ。人間の勇気ではない。武士の強さとはそんなものじゃないのだ。怖いものをよく知っているのが人間の勇気であり、生命は惜しみいたわって珠と抱き、そして真の死所を得ることが真の人間というものじゃ。」

 

沢庵の一言ひとことが武蔵の心に刺さる。そして読者の心にも刺さる。

あまりにも小さな自分とその敗北の人生を心の底から実感した武蔵は、再び、本物の人生を生き直したいと思う。

 

武蔵

「俺は今から生まれ直したい。人間と生まれたのは大きな使命をもって出てきたのだということがわかった。」

「俺は生きたぞ」と強く思い、同時に「これから生まれ変わるのだ!」と信念した。

「その人間になろうと思い立った途端に、俺はなにものよりもこの身が享けている生命というものが大事になってしまった。-生まれ出たこの世において、どこまで自分というものが磨き上げられるか-それを完成してみないうちに、この生命をむざと落してしまいたくないのである。」

 

池田輝政とお茶友達の沢庵は、輝政と交渉し、姫路城の天守閣にある開かずの一室を、武蔵の幽閉場所として借り受け、そこで三年間、武蔵を学問に専念させる。武蔵の剣に「護り」や「愛」の要素が加わり、武蔵の人生に「哲学」や「道徳」の要素が芽生えた瞬間であっただろう。

 

一方、武蔵の命を救ったもう一人のお通は、自分の心に正直に、武蔵と一緒に人生を歩みたいと思う。武蔵の幽閉の三年間をずっと城下の花田橋で待ち続けていた。待ち焦がれたやっとの再会の日は、武蔵が一人、剣の修行の旅に、そして新たな人生に踏み出す強い決意をしたその日だった。

「これに生きよう!これを魂とみて、常に磨き、どこまで自分を人間として高めうるかやってみよう!」

お通の心を感じる武蔵は、断腸の思いで、お通をおいて旅に出る。橋の欄干に刻まれた「ゆるしてたもれ ゆるしてたもれ」の文字がとても切ない。

 

 

「宮本武蔵」 序

 

 

◆「序」

 若き日、青春小説として何度も読んだ吉川英治の「宮本武蔵」を、時を経て、なぜかまたもう一度読んでみたくなった。・・・やはり、吉川英治の渾身の一作、読めば読むほど感動も深みも使わってくるという実感だ。

 

青空文庫では「序」として一巻設けられているが、その序には、「私というものの全裸な一時代の仕事であったことにまちがいはない」と著者は本作について記している。著者もまた、作家として自分自身のすべてを投入して書きあげた作品なのだ。一剣を磨く武蔵は、筆才を磨く著者自身だったかもしれない。

 

発刊当時の序(「旧序」と記されている-S11.4 草思堂にて)には、「あまりにも、繊細に小智に、そして無気力に髄している近代人的なものへ、私たちの祖先が過去には持っていたところの強靭なる神経や夢や真摯は、人生追求をも、折には、甦らせてみたいという望みも寄せた」とある。

 

また、「はしがき」では、「宮本武蔵のあるいた生涯は、煩悩と闘争の生涯。この二点では現代人もおなじ苦悩をまだ脱しきれてはいない。」とし、「(そのような)人間宿命を一個の剣に具象し、その修羅道から救われるべき『道』を探し求めた生命の記録が彼(=武蔵)であった。」と述べている。「煩悩と闘争の生涯」は、人間としての宿命的なものであるから、いつの時代の読者であっても、また読者が何歳になろうと、武蔵はその心をつかむのだろうと思う。

 

著者は、武蔵の剣について、こう述べている。
武蔵の剣は、「殺」でも「人生呪詛」でもない。「護り」であり、「愛」の剣である。自他の生命のうえに、厳しい道徳の指標をおき、人間宿命の解脱をはかった哲人の道である。

 

とにもかくにも、この著者の思いを頭の片隅にしっかりおいて、もう一度、武蔵とともに剣の修行に出てみよう。

 

「決断力」羽生善治

いま、「将棋」と言えば、藤井翔太さんのほうが話題性は高いだろう。しかし、将棋を通した人生観みたいなものを読むとすれば、すでにレジェンドの域に入ってきた羽生さんではなかろうか。本書のプロフィールを読むと、羽生さんの本に、角川からは本書「決断力」と「大局観」というタイトルの本、PHPから「直感力」という本が紹介されており、本書以外の2冊も読んで見たいと思った。

 

また、本書に「角川の好評既刊」として紹介されていた谷川浩司米長邦雄加藤一二三、諸氏の著書にも深みを予感し、読んでみたいと感じた。

決断力 (角川新書)

決断力 (角川新書)

 

 

本書の中では、羽生さん自身が、将棋の世界を企業人の世界に置き換えて話されている部分も多いが、企業人とか将棋の世界とは別の世界で生きる我々読者が読む場合には、その逆の読み方をすることで何かが得られることを期待する。将棋の世界は勝負の世界であると羽生さん自身も言われているが、企業人であっても、ある意味勝負の世界で生きているのであり、勝負の場面での、プロの勝負師の言葉や姿勢から何かをつかみたいと思うものである。

 

本書では、勝負における「決断力」に特化して書かれたものではない。「決断力」「集中力」「大局観」「直感力」「知識と経験」など、勝負にまつわる全体的な話が、エピソードなどを交えて読めるので、とても面白い。

 

「決断力」については言えば、「決断とリスクはワンセット」という言葉があった。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺を引用し、「怖くても前へ進んでいく気持ち、姿勢の大切さ」について述べられていた。勝負の恐怖心について、剣豪どうしの真剣勝負の譬えもあったが、「こちらも傷を負うけれど、結果として僅かに勝っていればいい」という壮絶な精神に、将棋は我々が考える単なるテーブルゲームなのではなく、まさに真剣での斬るか斬られるかの勝負なのだと思えた。

 

囲碁には定石、将棋には定跡というものがあるが、今の将棋は情報戦で、定跡部分の技術の確立については、誰もが平等に効率的に行えるようになったそうである。そのため研究が進み、定跡が陳腐化していくスピードは格段に速くなったようだ。定跡が定跡でなくなる。さらに著者は、本当の勝負はその先にある、勝負がお互いの読みを超えた混然とした複雑化した局面の中にあるという。そこには、ただ定跡やその研究成果を覚えるという「知識」だけでは話にならず、そこから自分の頭脳で考える力が求められるという。「知識より知恵」ということがだが、それもまたただの基本であるようだ。

 

そこからさらに、短時間のうちに膨大な選択肢の中から正解を見つけること、自らミスをしないこと、冷静沈着に感情をコントロールすること、苦境に耐えしのぐ精神力、目前の恐怖に打ち勝つ勇気、捨てる勇気など、プロの勝負師のならではの領域に入っていく。そこでの戦いが勝敗の決着に結びついていく。従って必然的に、「決断力」「集中力」「大局観」「直感力」などが、勝負の世界でのキーワードとなってくるのだと理解できた。「大局観の思考の基盤となるのが、勘、直感力。直感力の元になるのは感性」という言葉が印象的だった。

 

また、実戦場面の勝負に加え、その実戦に備えるための自身の鍛錬の勝負があることが強く感じられた。備えの鍛錬には、もちろん情報収集、研究といったこともあるが、心の持ち方や、考え方の確立が非常に重要であるなと感じた。「現状に満足していては進歩はない」ということを、「環境が整っていないことは、逆説的に言えば、非常にいい環境だと言える」という考え方に整理していた。

 

著者には、「何事でも発見が続くことが楽しさ、面白さ、幸せを継続させてくれる」という考え方があり、これは実戦の真っただ中にもあるようだ。実戦のなかで、予想外の局面に苦戦することさえ、新たな発見として、楽しさ、面白さを感じているという。

 

紹介されていた米長邦雄氏のエピソードとして、50歳に近づき、それまでの座を築き上げてきた自身のスタイルを全部スクラップして、若手棋士から最新を学び、フルモデルチェンジをして新たに自分のスタイルをビルドし、その後に名人のタイトルを勝ち取ったという話にも、実戦場面以外でのプロの勝負を見た思いである。紹介されていた米長邦雄著の「不運のすすめ」や、加藤一二三著の「将棋名人血風録-奇人・変人・超人」などは、読みたい気持ちがそそられる書である。

学校に行きたくない君へ

 「全国不登校新聞」というメディアがあることを初めて知った。このメディアは、全国不登校新聞社の発刊ですでに20年以上の歴史があり、その間一度も欠刊がなかったそうである。


同社の代表理事奥地圭子さんは、1984年から「登校拒否を考える会」を立ち上げ、その翌年にはフリースクール東京シューレ」を開設するなど、早い時期から不登校やひきこもりの問題への取り組みを進めてこられた方である。

 

学校に行きたくない君へ

学校に行きたくない君へ

  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: 単行本
 

 

本書は、不登校やひきこもりの経験者がインタビュアとして、その自分が誰の話を聞くことが有意義かということを考えて、その対象者にインタビューを敢行することにより編集されたものである。世間一般の読者受けを考えたインタビューではなく、そのインタビュアーが個人として話を聞きたいと思う人に、その思いをぶつけながら取材をしている点が特長であり、それが本書を熱気の感じられるものにしている。

 

本書の編集長もまた、不登校やひきこもりの経験者だそうだ。そして、インタビューに答えている人たちは、それぞれにその分野で世に認められている人物であったりするが、そこに至るまでに、自らが不登校や引きこもりなどの経験をもち、それを克服して今に至っていたり、あるいは現在も「生きづらさ」と共存しながら戦っている人たちであったり、あるいはそういう生き方に強く理解を示している人たちである。

 

樹木希林荒木飛呂彦柴田元幸リリー・フランキー雨宮処凛西原理恵子田口トモロヲ横尾忠則玄侑宗久宮本亜門山田玲司高山みなみ辻村深月羽生善治押井守萩尾望都内田樹安冨歩小熊英二茂木健一郎

自分としてはもちろん知っている人物も多いが、これまで全く無縁だった人物も含まれている。また名前は知っている人物でも、成功実績などを知るのみで、そこに至るプロセスについては知らなかった人物が多い。

 

本書を読んで、いかに自分は「世間知らず」だったのかというような気持ちになった。「世間を知る」という意味を、勝手な限定的な世界を知ることと勘違いしていたのではないかと感じる。

 

本書の中で、東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩氏は、現代人の生き方をポケモンに例えている。つまり自分自身で戦っているのではないと。そして自分自身を生きている人はどこにいるのかという問いに対し、不登校や引きこもりの中にこそいると述べている。

 

上記に登場した、インタビューを受けた側の大先輩たちの話を聞いていると、まさに「自分自身を生きる人」の実感が伝わってくる。であるので、もし現在「生きづらさ」を少しでも感じている人がいたら、本書で心にエネルギーをもらえるのではないかと思う。

 

本書のコラムで自身のひこもり体験を述べている若者が、親から言われて最も嫌だった言葉を列挙していた。
「ふつうにしなさい」
「この先どうするのよ」
「あなたのためを思って言ってるのよ」

 

「ふつう」とは何だろうか?
皆が学校へいくから、行かないのは「ふつう」でないのか?

この独断的な視点をきちんと考え直させてくれるのが本書である。

 

マイノリティが特異な目で見られるという現実に対し、宮本亜門氏は、「マイノリティは人類にとって大切な前例」であり、マイノリティをマイノリティでないものへ変えていく使命ある者と言っている。

 

西原理恵子氏は、「子どもより先に親が何を不安がっているのかを解決した方がいい」と言いきっている。先の言葉(「この先どうするのよ」等)に対する明確な答えであるように思う。

 

それぞれのインタビューのやり取りの中から、自分の誤っていた視点に気付けたり、自分に不足していた本当に正しい視点に気付くことができたりする本ではないかと思う。