気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「宮本武蔵」 序

 

 

◆「序」

 若き日、青春小説として何度も読んだ吉川英治の「宮本武蔵」を、時を経て、なぜかまたもう一度読んでみたくなった。・・・やはり、吉川英治の渾身の一作、読めば読むほど感動も深みも使わってくるという実感だ。

 

青空文庫では「序」として一巻設けられているが、その序には、「私というものの全裸な一時代の仕事であったことにまちがいはない」と著者は本作について記している。著者もまた、作家として自分自身のすべてを投入して書きあげた作品なのだ。一剣を磨く武蔵は、筆才を磨く著者自身だったかもしれない。

 

発刊当時の序(「旧序」と記されている-S11.4 草思堂にて)には、「あまりにも、繊細に小智に、そして無気力に髄している近代人的なものへ、私たちの祖先が過去には持っていたところの強靭なる神経や夢や真摯は、人生追求をも、折には、甦らせてみたいという望みも寄せた」とある。

 

また、「はしがき」では、「宮本武蔵のあるいた生涯は、煩悩と闘争の生涯。この二点では現代人もおなじ苦悩をまだ脱しきれてはいない。」とし、「(そのような)人間宿命を一個の剣に具象し、その修羅道から救われるべき『道』を探し求めた生命の記録が彼(=武蔵)であった。」と述べている。「煩悩と闘争の生涯」は、人間としての宿命的なものであるから、いつの時代の読者であっても、また読者が何歳になろうと、武蔵はその心をつかむのだろうと思う。

 

著者は、武蔵の剣について、こう述べている。
武蔵の剣は、「殺」でも「人生呪詛」でもない。「護り」であり、「愛」の剣である。自他の生命のうえに、厳しい道徳の指標をおき、人間宿命の解脱をはかった哲人の道である。

 

とにもかくにも、この著者の思いを頭の片隅にしっかりおいて、もう一度、武蔵とともに剣の修行に出てみよう。