宮城谷「三国志」第3巻 董卓が中央を強奪
宮城谷「三国志」の旅はまだ始まったばかり。
やっと第三巻に入って、聞き覚えのある名前が何人か登場してきた。
第三巻の時の皇帝は第12代・霊帝。皇帝が暗愚であると世が乱れる。
皇帝が暗愚であると、その暗愚な皇帝に付け入って、その権力を利用して増長してくるものがいる。そういうシステムが出当たり前になってくると、当然のように中枢部は腐っていき、必然的に乱れた世となるという流れだ。
例えば、霊帝は「人は信じられぬが銭は信じられる」という人物だった。そのため要職も銭さえ出せば買えるシステムとなっていた。このシステムを利用し、人臣の最高位まで上り詰めたのが、あの曹操の父、曹嵩だった。
そういう時代であったが、そんな父を曹操は批判的な目で見ていたという。そういうことが世の乱れの原因であることを曹操は見抜いていた。目先の欲望よりもすでに天下をにらんでいたと言えるかもしれない。
結局、父の道を歩まず、曹操は自分の道を進むが、のちにその父が陶謙に殺害されたときには、鬼神のように陶謙を攻め込む場面がある(第4巻)。違う道を進めど、父子の血のつながりというのは強かったのだと感じた。
ところで、この乱れた中枢には、さらにやっかいな存在がいた。宦官である。
皇帝の取り巻きである宦官は、まさに皇帝の権力を利用して、自分たちが権力をほしいままにする体制を確立しつつあった。しかし、その甘汁体制を一掃しようと考える対抗勢力も水面下で力を蓄えつつあった。
宦官誅滅を推進したのが袁紹(中軍校尉)と何進(大将軍)で、一掃の大虐殺を行った。一方抵抗も激しく、何進も逆襲の犠牲となってしまった。
この時に、宦官討伐に利用されたのがあの董卓だった。登場のきっかけは、宦官征伐であったものの、彼にはそのタイミングをうまく活用して、自分自身がのし上がるという野心があった。
獰猛かつ残忍なあの董卓がのし上がってくる。董卓は、さっそく第13代少帝を毒殺し、自分の名前と同じ「董」を名に含むという単純な理由で、第14代に献帝を擁立し、人質のように献帝を囲い込むことによって王朝を乗っ取ってしまった。
名門袁紹・袁術の兄弟は、それぞれにひとつの勢力を構成しているものの、お互いが不仲な関係でもあり、董卓の政権強奪に対しては、手が出せないでいる。
また、小さな勢力ながらも力を蓄えつつある曹操は、暴政体制の中から献帝を救い出したいという正義感から、董卓討伐に果敢に挑んでいく。負けてもまた軍を立て直し、董卓に屈することがない。このあたりが、臆病な袁紹などとは異なり大器の片鱗が見える。
一方、南方に孫堅あり。彼は戦闘能力も高く、董卓とて恐れるものではない。ついに董卓配下の猛者・呂布をも撃破し、ついにあの董卓を洛陽から長安へ負いんだ。
まさに群雄割拠。袁術の勢力は、公孫瓚の勢力と連合し、袁紹・劉表連合勢力とにらみ合う構図となった。その公孫瓚の元へ訪れたのが、関羽・張飛ともに黄巾平定で戦果を挙げていた劉備玄徳である。
中央で暴政をふるう董卓。その暴政を抑え、天下を平定するのは誰なのか?
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