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子規の毒舌評論 歌よみに与ふる書

 

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

  • 作者:正岡 子規
  • 発売日: 1983/03/16
  • メディア: 文庫
 

 

夏井いつき先生の俳句の本→「坂の上の雲(第2巻)」(司馬遼太郎著)→本書と、本来の時間の流れを遡る形で本書にたどり着いた。この流れで正岡子規という人物についての興味がどんどん増してきて、本書をどうしても読みたいという気持ちに駆られてしまったので(笑)。「坂の上の雲」から見れば、寄り道かもしれない。

 

しかし、この寄り道は面白かった。司馬遼太郎さんが、本書から引用していた部分があり、その子規の痛烈な言葉が興味をそそったことは間違いない。本書を読むと、夏井先生の毒舌がかわいく見えてくる(笑)。

 

歌よみに与ふる書」は、俳句読みの子規が、当時の和歌界?に対し、痛烈な評論を新聞紙上で行ったものが編集された書である。最初の稿が、明治31年2月12日のもので、それから「再び歌よみに与ふる書」「三たび歌よみに与ふる書」「四たび歌よみに与ふる書」・・・としつこく(笑)続き、ついに「十たび歌よみに与ふる書」まで続くのである。

 

この間、2/12から同年の3/4まで。たった1か月弱の間で、当時の和歌界を滅多斬りにした。もちろん、この辛口は、かなりの反論を呼び、現代的に言えば「炎上」したものと思われる。しかしながら、子規は強い。

 

反論に全く屈することなく、その反論に対する反論を次の稿で述べるのである。自身の信念に基づいているがゆえに、怯むところなし。というより、批判のための批判ではなく、衰退が危ぶまれる和歌界、あるいはそれをも含む日本文学界を中国や西洋や他国の他の文学にひけをとらない、世界に誇れる文学としたいという熱い心の表れなのである。子規は、この戦争の時代に、戦争とはまったく違う文学の世界で戦いを起こしていたのである。

 

子規は、おそらく和歌界に革命を起こすべく毒づいたのだろう。当時も優れた歌人と崇拝されていた紀貫之など完膚なきまでにこき下ろしている(「再び歌よみに与ふる書」)。

 

しかし、ただ批判するだけではない。源実朝は一流の歌人だったと尊敬の念を惜しまず、その早逝について非常に残念がっていた。力量、見識、威勢、どれをとっても群を抜いているとの最高評価だ。賀茂真淵が、その実朝をほめているについても、「それでは褒め方が中途半端だ」と、それで真淵を批判する始末だ(笑)。

 

古今集」には子規も当初崇拝していたらしいが、後になって、ダジャレと理屈の歌集だったと悔やみ、それに惚れていた自分を「女に騙されていたようなもんだ」と述べている。その「古今集」を200年も300年もたって、いまだ模倣している近代歌人は、2~300年も糟粕をなめているのと同じだと辛口評。

 

古今集」より「新古今」のほうがやや優れていると。その選者の藤原定家に対しては、評論はうまいが、自作の歌は下手だとと評した。それを狩野派の探幽と同じだとし、両名とも「傑作はないが相当の鍛錬の力はある」としている。評論の幅が広く、子規の視野の広さがうかがえる。

 

自分は、歌について論じている。その歴史に生きた人物を評価しているのではない。人物としては偉大でも、その当時の技量は、後世になれば時代遅れとなる。時代遅れのものをいつまでも模倣して進歩があるのかと。非常に合理的な考えだ。

 

「前略、歌よみのごとく馬鹿なのんきなものはまたと無之候」・・・痛烈(笑)。

 

歌読みは、「和歌が一番」とうぬぼれているが、他の文学を全然知らんではないかと。俳句と川柳の区別もわかってないだろうと。歌読みは、「調べ」のことを取りざたするが、調べには「平和的な調べ」もあれば、「切迫を表す調べ」もある。長歌の平和的なものだけが調べではない。俳句の短い文字で切迫を表現することもあると。

 

子規は、歌で「理屈」を読むなという。その論に対して、「どうして理屈を読んではいかんのか?」と反論したものがあったようだ。これに対し、子規は「文学というのは”感情”を表現するものだろ。理屈は文学とはいわん!」とバッサリ斬捨てる。終始この調子だ。

 

歌は「客観的」が好ましいとか、嘘の使い方とか、使う言葉に対する考え方(日本固有の語だけの使用にこだわらず、漢語や西洋の言葉など、近代においてはもっと取り入れて表現すればよい)、歌や句を構成する材料の充実のこと(ここでも実朝の技量をほめていた)、字余り活用の是非など、稿が後ろに進むにつれてその技量の論についても高度になっていく。

 

最後の稿では、忖度するなと、おおもととなる心構えについて述べている。偉いと言われる人だから、先輩だから、といって力量、技量があるとは限らない。元勲や大臣が偉いとも限らんと。

 

「老人崇拝の弊を改めねば歌の進歩は不可致候。歌は平等、無差別なり。歌の上に老少も貴賤も無之候」

 

なかなか痛快な本を久々に楽しめました。