気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

「ソクラテスの弁明」をマンガで読んでみる

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昨日のみぞれっぽい雪がちらつく天気に打って変わって、今朝は太陽の日差しが暖かい。昨日お休みした朝ウォークだが、今朝は気持ちよく出かけることができた。先週は、このコースの左手、狭山公園の風景を撮ったが、今朝は右手の多摩湖側の写真をとってみた。前回と今回でちょうどセットのようになる。

 

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続いて、いつものコース。芽吹いて開花の準備はできているものの、まだ咲いていない桜のコース。若干登坂で、フクラハギの筋肉を伸ばすのによいコース。

 

マンガで読む名作 ソクラテスの弁明
 

 今日は、先日読んだ「マンガで読む名作 ソクラテスの弁明」の感想日記。

 

最近の新型コロナウィルスの影響で、自治体の図書館も閉館が多い。TVの特集番組では、「図書館で感染する確率は低い」とされていたが、やはり人の集まるところということで、図書館を閉鎖している自治体は多いと感じる。

 

それでもコストをかけずに本を読もうと考えると、Amazon unlimitedが有効だ。最近、Amazon unlimited名作のマンガ版シリーズをみつけたので、マンガでどれくらいの満足度が得られるのかを試してみるつもりで読んで見た。

 

過去に読んだことのある「ソクラテスの弁明」を読んで見た。といっても随分過去に読んだので、緻密に内容を覚えているわけでもない。しかし、読んで見て、意外と迫力があり自分では好印象であった。原作を読んでからこちらを読むもよし、原作を読む前にこちらを読むもよし、はたまたマンガだけで済ますもよしと感じた。

 

***
ペロポネソス戦争アテナイがスパルタに敗北した。その敗因は誰にあるのか?-主戦論を唱え、不利になるや否やスパルタに走ったアルキビアデス。
アテナイを恐怖政治に陥れたのは誰か?-市民1500人を処刑した、三十人僭主制の首領・クリティアス。
その二人を教育した諸悪の根源は誰か?-ソクラテス
 
こうして、ソクラテスは民衆裁判所に引きずり出される。
告発者は3名。弁論家リュコン、詩人メレトス、政治家アニュトス。
市民500人が裁判官であり、議長を加えた501人の投票により判決が下される。
 
最初に告発者メレトスが弁論を行い、それに対しソクラテスが対抗弁論を行う。
そもそも、先の3名の告発は、恨みによるものであった。ソクラテスが真の賢者をもとめて対話をしていたときに、賢者ぶっているだけの存在であったこと暴露され、それを根に持ち、でっちあげの告発を行った。
 
ソクラテスの弁明により、一つひとつ矛盾点が明らかにされていく。そして、その判決結果はいかに?
告発者の一人アニュトスは、ニヤリと笑いつぶやく。
ソクラテスは決して媚びない。そして正しいことを誰かれ構わず押し付ける。相手がどう思おうとお構いなしにな・・・。だがそうれでは、この国の市民参加の民主裁判には勝てないということだ・・・。
 
結果は221票対280票で「ソクラテスは有罪!」
「正義が必ずしも勝つとは限らない」というのは、今の世も同じ。真実を見極めることができた市民と、見極めることができなかった市民。その幸・不幸について、このあとソクラテスはそれぞれに訴える。
 
次の刑を決める裁判では、140票対361票で、「ソクラテスは死刑!」
真実を述べた者が死刑に処されるという矛盾。ソクラテスの幼馴染クリトンは、処刑までにソクラテスに逃げることを提案する。(これは「クリトン」という作品)
しかし、ソクラテスは正しい裁判の手法に則って下された判決に従わないのは、法律を破ることであるとして、最後は死刑の宣告に殉じ、毒杯を仰いだ。(これは「パイドン」という作品)
***
 
本書は弟子プラトンの著である。プラトンは、当初、師のソクラテスに「政治家になりたい」と思いを語ったことがあるが、師の死後、「政治家になることより、正しい政治を行える世の中を作ることが大事である」ということに気づき、師の遺志を継ぐことを決意するのである。
 
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今回マンガで読んで見て、正義を貫くことの偉大さを感じ取ることはできたものの、告発者アニュトスの老獪さのほうに意識がいってしまった。「正義が必ずしも勝つとは限らない」ということは、古今を問わず存在する。
 
「歴史は勝者によって塗り替えられる」という側面があり、いくら正しくとも負ければ、悪者とされてしまうことが多い。ソクラテスが現在、偉大な哲人として認められているのは、プラトンという弟子が、師ソクラテスの正義を守ったからということが大きい。
 
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意外とマンガもいけるが、はやり読み手の想像の膨らみがない。書かれた画像で、固定的な理解となってしまうのは否めないな。
 

 

 

「明治維新とは何だったのか」 半藤一利 vs. 出口治明

 

 

今朝は、初春らしい快晴。

いつものように、朝イチ、近くのウォーキングコースへ向かった。

都立狭山公園の早朝は、ジョギングをする人、ウォーキングをする人、ペットの散歩をする人、ラジオ体操をする人、自転車をする人、写真を撮る人、いろんな人が集まってくる。

 

写真の右手には、多摩湖の湖水が広がり、その向こうに、くっきり鮮明な富士山が望める。そして、左手には広大だがきれいに整備が行き届いた、狭山公園の自然が広がる。

 

この土手の斜面に埋められた石の整列が、朝日に照らされて、色とりどりに輝くのが美しい。

 

***

 

昨日は、この本を読み終えた。

明治維新とは何だったのか  世界史から考える

明治維新とは何だったのか 世界史から考える

 

 

半藤一利氏は昭和5年(1930年)生まれ、方や出口治明氏は昭和23年(1948年)生まれ、と18歳もの年齢差がある。下手したら親子ぐらいの差がある。それに、半藤氏は、自称「歴史探偵」であり、「幕末史」という分厚い本も上梓されており、この対談では出口氏が、半藤氏の胸を借りる形で、対談が進んでいくんだろうなと勝手に予想していた。
 
出口氏が日本史のみならず世界史に精通された方だというのは、いろいろな情報から存じていたが、恥ずかしながらまだ著書を読んだことがなかったので、やっぱり年の功で、半藤さんのほうが対談をぐいぐいリードされていくんだろうなと勝手に思っていた。
 
半藤氏は歴史の探偵なので、歴史に詳しいのは当然だし、出版社の編集経験もおありだから、これはもうプロ中のプロ。一方、出口氏はライフメット生命の創業者であり、今は立命館アジア太平洋大学の学長さんなので、どちらかというと実業家イメージが強く、いくら詳しくてもプロ中のプロにはかなわないだろうと思った。
 
いやいや、本書は対談なので、歴史と言っても一般受けするような話に編集されているが、その対談に応じられる出口氏には余裕が感じられる。おそらくバックにある知識が凄いのだろうと思う。むしろ半藤氏のほうが、「自分の弱点である経済的な観点が、びっくりするほど完備している方」と、出口氏に尊敬の念をもって対談しているくらいだ。
 
この言葉どおり、出口氏は対談のところどころで、当時の各国のGDPの統計データなど経済データを出しながら歴史を語られる。出口氏は、ふだんから「タテヨコ(歴史と世界)」の視点を重視されているようで、本書のサブタイトルにも「世界史から考える」と世界に枠を広げられている。
 
さていよいよ対談。対談冒頭、この「本書のタイトル」となっている「明治維新」という言葉に、半藤氏がモノ申す。改元前後に、「明治維新」なんて言葉はなかったんだと。せいぜい「御一新」という言葉があったくらいで、「明治維新」なんて言葉は後付けだと。その理由も後の対談の中で説明されていくが、さすが探偵の歴史へのコダワリに、思わず「面白くなりそう」とワクワクがこみあげてきた。
 
一方、出口氏は冒頭、腰低く謙虚に対談に入っていかれました。やはり人生の先輩に対する敬意が感じられました。しかし、それは導入部だけで、対話に弾みがついてくると、もうを互いにガップリ四つで展開していかれます。
 
第3章の「幕末の志士たちは何を見ていたのか」では、当時の主要な人物についてのお互いの人物談義が交わされている。「幕末の志士たちは何を見ていたか」というより、「対談のご両人は、志士たちをどう見ていたか」というのが実質的なタイトルでしょう。
 
そして、けっこうな点で、両者の意見は一致していました。
幕末というと、維新の三傑西郷隆盛大久保利通木戸孝允についての評価が高く、坂本龍馬吉田松陰など小説の影響もあり、英雄的に語られることが多いが、二人の意見の一致で見ると、阿部正弘を維新のグランドデザインを描いた一番の功労者とし、そのデザインを踏襲し近代化を実質的に推し進めた、大久保利通を第二の功労者とし、半藤氏が思い入れが最も強い勝海舟の功績についても、出口氏も認めるところで、これがベスト3だったように感じる。
 
大河ドラマ「せごどん」では、西郷隆盛が主役で、大久保利通は脇役でしたが、本書では二人そろって、主役は大久保、西郷は脇役以下の捉え方でした。吉田松陰に至っては酷評でしかなく、維新の立役者はプロの目から見ると克明に評価がわかれるんだなと改めて実感した。
 
岩倉具視は、この時代最大の陰謀家(ワル)で認識が一致し、維新三傑亡きあと権力を握った山縣有朋についても厳しい評価だが、このあたりは一般の視点と一致するところかもしれない。
 
本書が「世界史から考える」と副題されているように、「鎖国で後れをとった世界の中の日本」という視点でとらえたときに、その後の日本再構築において、誰の功績がもっとも大きかったのかという視点からこの結論に達しているのではないかと思う。
 
巻末に、両著者オススメの関係書籍が紹介されていた。
半藤氏15冊、出口氏20冊。これらもそうだが、出口さんの本をもっと読んでみたい衝動に駆られている
。もちろん半藤さんのも!
 
 

「母よ嘆くなかれ」 パール・バック

今日は、朝6時過ぎから近くの公園にウォーキングに出かけた。

昨夜から明け方の間に少し降ったのか、地面はまだ湿気が残っていたが、雨はもうやんでおり、青空が清々しく広がっていた。いつものコースを歩いていると、満開のピークを若干すぎたばかりの河津桜河津桜にしては遅咲きなのだろうか)が美しく、思わず立ち止まってしまった。

 

今朝、新聞の「名字の言」というコラムで、障がい者についての記事が載っていた。

障がい者に優しくしよう」との表現は適切でない・・・という言葉に、「え?」と思い、次を読み進めると、「障がいのある人がいるからこそ、私たちは優しくなれる」という言葉がより適切な表現だと感じたという主張だった。そして、そこにパール・バックの著書「母よ嘆くなかれ」のことが紹介されていた。

 

母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉

母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉

 

  

パール・バックには、知的障がいの娘さん(キャロラインさん)がおり、その娘さんを育てた日々のことが本書に綴られている。この本は、我が家の書棚にもある。家内が買ったものである。

 

第1章の冒頭、パール・バックはこう語り始める。

「わたしがこの話を書く決心をするまでには、ずいぶん長い間かかりました。」

自分の身上の話をすることにためらいがあったからだ。ある日の朝、一時間ほどの冬の森の中の散歩を終えて、ようやく書こうと心を定めたという。ちょうど、自分が今朝ウォーキングしたような自然の豊かなところだったのだろうと思うが、今日の私のような落ち着いた気分ではなかったはずだ。

 

パール・バックは、自分の悩んできたことを綴ることで、同じ悩みをもつ母親になんらかのヒントを与えることができるのではないかと考えたこと、そしてもう一つは、知的に障がいがある自分の娘の生が、他の人に役立つのではないかと考えたからである。

 

普通の幸せな夫婦の間に、障がいのある子が生まれる。これは突然やってくる。たいていの場合、まずそういうことが起こるということすら考えないものだろう。パール・バックもそうだった。自分の子どもに異常があると感じたのは3歳を過ぎて「言葉が遅いな」と感じた頃からであった。「まさか自分の子どもに限って」という思いが強く、なかなか受け入れることができない。

 

そういう思いから綴られているパール・バックの母親としての痛切な思いは、語るに忍びないものがある。まったく思いが理解できるだけに、軽々しく文章にはできない。そういう辛さをやっとの思いで乗り越えて、キャロラインさんが10歳になったときに、ようやくペンを執ることができて書かれたのが本書である。

 

「とにもかくにも、悲しみと融和の道程がはじまったのです。その第一段階は、あるがままをそのままに受け入れることでした。」

 

「私はその絶望のどん底から這い出ることを学びました。そして這い出てきたのです。そして『これが私の人生なのだ。私はそれを生き抜かなくてはならないのだ』と悟ったのです。」

 

「月日がたつにつれて、わたしは生きていく以上、悲しみを抱いて暮らしていても、その中で楽しめることは大いに楽しむようにつとめるのは当たり前だ、と思うようになっていきました。」

 

「わたしの魂の力を、反抗のために使うことをやめました。わたしはそれまでのように「なぜ」と問わなくなりました。問わなくなった本当の秘密は、自分自身のことや悲しみについて考えるのをやめて、娘のことだけを考えるようになったところにあります。」

 

パール・バックが考えた「娘のこと」とは、将来の自分の寿命が尽きた後の、娘の安全と幸福のことだった。

 

最初に彼女は、娘の能力、可能性について確認しようとした。教えたり、トレーニングしたりすることで、自分の娘が、どこまで自立してできるのかを確認しようと思った。娘の将来を思うがゆえに、時にはスパルタ的にもなったようだ。そして、そのトレーニングを受けていた娘さんの本当の心の思いを知ったとき、それらが全く無駄なことだったということに気づく。

 

娘さんには、娘さんの人間としての好みがあり、自由があり、生き方があり、幸福がある。キャロラインさんは、知的な能力は低くとも、音楽に関する感性は非常に優れていた。好き嫌いがあり、文字が読めなくても、どのレコードがどれかがわかり、たくさんの中から自分のお気に入りを選び出し、鑑賞し、自分の心で感じることができた。

 

パール・バックは、娘のありのままのすべてを受け入れ、そして同じように娘のことを受け入れてくれる人と施設を探すことを決意した。それが娘さんの将来の安全と幸福を確実にするものだからだ。

 

多くの施設を訪れてみて、そのときにパール・バックがどのような印象を抱いたかが記されている。見栄えばかりが立派で、考え方の最低な施設長の例、劣悪な環境の中で人間として扱われていない子どもたちがいる施設の例、そういう劣悪な環境の施設を子どもたちの視点に立ってすべてを改善した素晴らしい施設長の話、そしてパール・バックがこの施設なら娘のことを任せることができると決めた施設の話など。

 

大事なのは「心」である。障がいのある子どもたちのことを、本当に一人の人間として考え、その安全と幸福を考えることができる、そういう「心」が大事である。

 

冒頭の新聞のコラムにあった「障がいのある人がいるからこそ、私たちは優しくなれる」という言葉には、その「心」が込められているようにも感じる。

 

パール・バックは語っている。

「わたしは、この歩んでいかねばならない最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました。人はすべて人間として平等であること、また人はみな人間として同じ権利をもっていることをはっきりと教えてくれたのは、他ならぬ私の娘でした。」

 

「わたしはこのような体験をしなければ、決してこのことを学ばなかったでしょう。もしわたしがこのことを学ぶ機会を得られなかったならば、わたしはきっと自分より能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度をもちつづけていたにちがいありません。娘はわたしに『自分を低くすること』を教えてくれたのです。」

 

本書には、さらに娘さんが施設での暮らしを始めてからの、母パール・バックの気持ちが綴られているが涙なしでは読めない。「自分自身のことや悲しみについて考えるのをやめて、娘のことだけを考える」という戦いが、ここでも続いていた。

 

トルストイの生命観

 

人生論 (新潮文庫)

人生論 (新潮文庫)

 

 

本書のタイトルは「人生論」であるが、内容は「生命」についてのトルストイの考えがまとめられた論文である。いきなり本文から読み始めるより、巻末にある翻訳者・原卓也氏の「解説」を先に読むほうが、予備知識が得られるので、少しは理解しやすくなると思う。
 
自分の場合は、最初から読み始めて、ぼやーっとした理解のまま読み進み、最後の「解説」を読んで、ある程度頭の整理ができたように思う。もちろん、消化不良もたくさんある。
 
まず、「解説」を読んで、ロシア語と日本語の違いが、本書のタイトルに影響していることがわかる。日本語でいう「生命」「生活」「人生」「一生」というような言葉は、ロシア語ではすべて「ジーズニ」という一語で表現されるらしい。であるので、トルストイは「生命」について論じたのであるが、最初の訳でその「ジーズニ」という単語は、「人生」と翻訳され、それで本書は「人生論」となったようである。
 
翻訳者の「解説」に、本書のエッセンスに関する記述があったので、そのまま引用する。
 
トルストイはこの論文の中で、人間の生き方を「生存」と「生命」とに区別して考えている。「生存」とは、人間の一生を誕生から死までの時間的、空間的な存在として捉え、その期間における個我の動物的幸福の達成を一生の目的と考える生き方をいう。これに対して「生命」とは、人間の一生を誕生と死という二つの点で区切られることのない、永遠につづくものとして捉え、その間、自己の動物的個我を理性的意識に従属させて生きることをさす。”
 
純化していうと、生まれてから死ぬまでただ「生存」しているような生き方と、自分の命を永遠と捉え(=生命)、理性的に生きる生き方とがあり、後者の生き方こそが真の幸福をつかめる生き方であると結論づけている。
 
これを仮に「生存の生き方」と「生命での生き方」とすると、たいていは「生存の生き方」に終始しているとトルストイはいう。その生き方の人は、生まれてから死ぬまでの間に、なるべく快楽を感じられるよう、また苦しみから少しでも逃れられるよう頑張って生きる。
 
しかし、世の中の誰もがそれを互いに求めており、競い合っているという。快楽の獲得競争であり、苦悩の押し付けあいの中で生きている。いわば利己的な生き方であり、せいぜい人と比べて、ある一部だけは自分が勝っていることに満足を感じ、そうでないときに不満を感じ苦悩を感じる。どちらかというと、欲求が満たされず、苦しみから逃れらないことが多く、苦悩と煩悶の連続と感じるのが、この生き方の人生である。
 
しかも最後には、すべてが無に帰する「死」があり、それが訪れる恐怖と隣り合わせで生きる人生では、真の幸福は絶対に得られないという。
 
では、トルストイがいう、真の幸福を獲得できる生き方とはどのような生き方なのか。
「生存」の生き方が、自身のための幸福追求であり、自己愛のみの動物的な生き方であるのに対し、そこに理性を取り込み、自己愛のみから脱却し、他者の幸福を志向する生き方が重要であるという。
 
愛の大きさを分数式に例えるユニークな発想が示されていた。分子は他者に対する好意や共感、分母は自分自身に対する愛とする。分子の大きさで愛の大きさを測るのが一般的な考えだが、むしろ分母の大小を考えることが、「生存の生き方」で終わるのか、そうでないのかに関係すると。
 
もう一つは、生命の永遠性をトルストイは訴えている。肉体は滅びても、生命は始めもなければ終わりもなく永遠に存在し続けるものと捉える。これは仏教的な発想に近い。
肉体が滅びたら終わりと考えるのが「生存の生き方」だが、「生命での生き方」はそうではなく、ある意味「死」の恐怖は伴わない。
 
このような表現があった。
「動物的個我は、自己の幸福の目的を達成するのに用いる手段である。人間にとって動物的個我とは、働くのに用いる道具である。」
 
動物的個我とは、生まれてから死ぬまでの「生存の生き方」の意味だが、これはこの一生の肉体は、永遠の生命により幸福の目的を達成するための手段であり、道具であるとトルストイは言っているのだと自分は理解した。そう考えると、他の人から小さな快楽を奪い合ったり、苦しみを押し付けあったりする生き方にのみ固執するのは、単なる道具に固執しているだけであって、全く真の幸福追求に無関係の生き方のように思えてくる。
 
そういう小我を捨てて、永遠の生命を感じながら他者への愛に全力を尽くす生き方が最も幸福な生き方であるとトルストイは述べているのだと理解した。
 
この論文をトルストイが書くきっかけとなったのは、自身が大病を患い、死をも直感したことだったという。随所に聖書の引用はあるが、この考えは宗教の範疇を越えていたようだ。「正教の教義に対する不信を植えつけ、祖国愛を否定している」という理由で、当時発禁処分となっており、後年に世に出たものである。
 
トルストイ自身も「人は常にあらゆることを、信仰を通してではなく、理性を通じて認識する。前には理性を通じてではなく、信仰を通じて認識すると説いて欺くことが可能だった。」と述べているように、本書の考えも自身の理性から紡ぎ出されたものであろう。
 
自分は、仏教の思想に多くの共通点を感じたが、トルストイが仏教の影響を受けて述べたものではなく、偶然そのような結論となったという点にも非常に興味深く感じている。
 
理解不十分の点も多いが、とりあえず一回目読了時のメモとして記しておきたい。

感動!「ベートーヴェンの生涯」

 

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)

 

 

これは、久々に感動の良書であった。しばらく書棚に積んだままだったが、もっとさっさと着手しておくべきだった。

 

ベートーヴェンの生涯」、「ハイリゲンシュタットの遺書」、「ベートーヴェンの手紙」、「ベートーヴェンの思想断片」と続き、付録もある。その付録の中には、著者ロマン・ロランが行った「ベートーヴェンへの感謝」と題する講演記録と、本書の翻訳者片山敏彦氏による「ベートーヴェンの『手記』より」が収められている。

 

表紙にこうある。「少年時代からベートーヴェンの音楽を生活の友とし、その生き方を自らの生の戦いの中で支えとしてきたロマン・ロラン(1866-1944)によるベートヴェン賛歌。二十世紀の初頭にあって、来るべき大戦の予感の中で自らの理想精神が抑圧されているのを感じていた世代とってもまた、彼の音楽は解放の言葉であった。」

 

ベートーヴェンの生涯」は、その「序」とする文において、25年前の1902年に書いたものであると著者は述べている。つまり1902年にすでに書かれていたベートーヴェンの生涯」に、序文を加え1927年(すなわち、ベートーヴェン没後100年目)の3月に再度発表されたものということだ。

 ※ベートーヴェンの生涯は、1770年12月16日~1827年3月26日。

 

その序文の中で、ロランは、「今、ベートーヴェン百年祭にして、生きること死ぬことを私たちに教えてくれた彼、簾道と誠実との「師」ベートーヴェンーあの偉大な一世代の人々のために「伴侶」であってくれたベートーヴェンをほめる私の言葉に添えて、あの一世代への追憶を記念する」と記されている。

 

ここにいう「あの偉大な一世代」とは、表書きの言葉から、二十世紀当初の大戦、すなわち第一次世界大戦に巻き込まれた世代を指しており、その彼らもまたベートヴェンの楽曲を伴侶とし、自らの抑圧された精神を開放することができたのだろうと著者は追憶を記している。

 

ベートーヴェンの生涯が波乱万丈の人生であったことは世に知られていることである。本書の中でもその生涯について一通り語られている。

 

貧困な家庭に生まれ、暴力伴う父親の過度な音楽教育の幼少期を過ごし、17歳にして最愛の母親を失い、酒飲みの父親に代わって一家(2人の弟たち)を養い、22歳で生まれ故郷のボンを離れ、ウィーンにて音楽活動を行うも、若干26歳にして腸を患い、また耳鳴り、難聴から30歳の頃にはすでにほとんど聴力を失ってしまうことになる。

 

しかし、その後もその状況のままで、作曲活動に取り組み、途中テレーゼと熱烈な恋愛をし、そして身分差等による理不尽な失恋に失意のどん底に落ち、それをも音楽の糧として作曲活動を続け、1824年5月、54歳のときにあの世紀の「第九交響曲(合唱付)」を生み出し、1827年3月26日に57歳の生涯を閉じたのである。

 

ロマン・ロランによるベートーヴェン賛歌。この激しいベートーヴェンの生涯に対し、ロランは語る。以下、主だった文章を抜粋した。

 

「第九交響曲は気狂いじみた感激を巻き起こした。多数の聴衆が泣き出した。ベートーヴェンは演奏会の後で、感動のあまり気絶した。」

 

「依然として彼は貧しくて病身で孤独であった。とはいえ彼は今や勝利者であった。彼は人々の凡庸さを征服した勝利者であった。自己自身の運命と悲哀とに打ち克った勝利者であった。」

 

「かくて彼はその全生涯の目標であったところのもの、すなわち歓喜をついにつかんだ。」

 

「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれた人間が自ら歓喜を作り出すーそれを世界に贈り物とするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す。そのことを彼は次の誇らしい言葉によって表現したが、この言葉の中には彼の生涯が煮つめられており、またこれは、雄々しい彼の魂全体にとっての金言でもあった。-「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」

 

「ハイリゲンシュタットの遺書」は、甥のカルルと弟のヨハンに宛てた遺書の意味を込めた書簡である。その中でも、次の「ベートーヴェンの手紙」の章で紹介されている親友への手紙の中でも、悪化していく自身の病状への憂い、運命との格闘、希望、そして自身の音楽における使命について語るベートーヴェンの思いを素肌で感じることができる。

 

「たびたびこんな目に遭った私はほとんど全く希望を喪った。自らの生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。-私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が栄を自覚している仕事をし遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。」

 

「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」

 

「ブルタークの本が僕を諦念へ導いてくれた。できることなら僕は運命を対手に戦い勝ちたい。」

 

「僕は運命の喉元を絞めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。-おお、生命を千倍生きることは全くすばらしい!」

 

圧巻は、ベートーヴェンへの感謝」と題するロランの百年祭での講演。これは文章全体が感動であり、ここへそれを書きつくすことはできない。ロランは、ベートーヴェンのすべての楽曲にも精通していて、もしその部分にも詳しい読者であればその感動はさらに大きなものとなるだろうと思う。

 

自分は全くの素人であるので、ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているものについて語るロランの言葉により、ベートーヴェンの偉大さをようやく感じることができたレベルで、今後そのことを念頭に、もう一度ベートーヴェンの楽曲を聴いてみたいなと今思っているところだ。

 

ベートーヴェンのすべての曲に貫かれているもの。ロランはこう語っていた。

「すなわちそれは二つの要素の間の闘い、広大な二元である。この事は、ベートーヴェンの最初の作から最後の作に至るまで表れている。(中略)しかしながら、ベートーヴェンの気魄のー灼熱せる、勝手気ままでしかも逼迫せるこの嵐のごとき気魄の統一そのものの中に、一つの魂の二つの様態、ただ一つのものである二つの魂があるのである。それらは結合し、また反撥し、論争し格闘し、互いに身体を絡ましあっているが、それは戦いのためともいえるし、また抱擁のためともいえる。不均衡な二つの力であり、また心の中で不同に発言する二人の敵手がそこにいる。一方は命令し抑圧する。他方はもがき呻く。けれでもこの二人の敵対者らは、征服者と被征服者とは、ともに同様に高貴である。そして、これこそが重要な点である。

 

(中略)ベートーヴェンのこの戦いとは、魂と運命との間のそれである。(中略)彼の書いたの中にこの事はたくさんある。

 

ベートーヴェンは、自身の人生におけるすさまじい運命と、それに打ち克とうとする強烈な魂と、その壮絶な格闘を楽曲の中に込めているということだろうか。しかし、そうであるならば、それができるのは、この人生でこの格闘を貫いてきたベートーヴェンただ一人だと思われる。

 

彼は聞こえなくなった耳で、神の声(音)を聞き取れるようになった。彼は、音楽は啓示を越えるものだとい言っていた。彼は、そうして生み出した楽曲を、人々に伝えることを自分の使命と考えた。貧しい人、悩める人に歓喜を与えるための曲を作ることを使命として生き抜いた。自身の境遇の苦悩から、人々の歓喜を生み出した。

 

先に「第五交響曲(運命)」を生み、そして最後に「第九交響曲」の歓喜の歌を生み出した彼自身の人生そのものがそれであるなとも思われた。

 

そういう人生を貫いたベートーヴェンの生きざまに改めて感動し、他の作曲家と一線を画した超人的な芸術家ベートーヴェンを再発見した感覚である。

 

河合先生の「カウンセリングを語る」(上・下)

 

カウンセリングを語る(上) (講談社+α文庫)

カウンセリングを語る(上) (講談社+α文庫)

 

 

本書は、四天王寺人生相談所が開催していた年一度のカウンセリング研修講座に、著者が講師として招かれ、実施した講演の前半のほうの記録をもとに編集されたものである。その研修の受講者は、学校の先生などの教育者であったり、学校カウンセラーもいたかもしれないし、これからカウンセラーになろうとしていた人かもしれない。
 
著者は「別にカウンセラーになろうとする人でなくとも、教育、福祉、医療などの領域で、何らかの意味で対人援助の仕事をしている人々にとって、本書はどこかお役に立つところがある、と思っている」と述べている。
 
上下巻あるうちのまずは上巻から。
章のタイトルを見れば、講演に対する興味が膨らむ。

第一章 家庭・学校で問題が生じたとき
第二章 心を聴く
第三章 カウンセラーという人間
第四章 「治る」とき
第五章 限界があることを前提に
第六章 役に立つ反面の危険性
 
本書の内容のすべてと言っても過言ではない内容が、第三章に記されている。読者の期待に対するズバリの回答である。カウンセラーの三つの条件である。たった三つの条件を満たすことができれば、特に勉強などしなくても誰でも一流のカウンセラーになれるという。
 
①カウンセラーは、クライエント(カウンセリングを受けにきた人というような意味)に、まったく無条件に積極的に関心を払っていく(無条件な積極的関心、積極的尊重)。
 
②共感するということ(クライエントの悩み、苦しみ、悲しみ、あるいは喜びをともに感じていく)
 
③自己一致(カウンセラーがその時に言っていることと、感じていること・思っていることがぴったり一致していること)
 
河合先生は、プロの商売道具のエッセンスをいとも簡単に開示されたが、これは簡単なようで、実は非常に難しく、素人には到底できない、トレーニングをつんでもなかなかクリアできない条件だからである。
 
本書の内容のすべてはこの三条件の実施に関する話であって、そのニュアンスをとらえるには、全体の講義を聞く(読む)しかない。ただし、読んだからといって、すぐに実践できるものでもない。だけども、これを知っているか、知らないかで、問題をかかえる人と正しく向き合えるか、全く誤った対応をしてしまうかという大きな差を生じさせてしまう。
 
現代社会はとくに、自分の周りを見回しても、このようなコミュニケーションを求められる場面が非常に多いように感じる。カウンセリングとまでいかなくとも、人の話をきちんと聞かねばならない場面は多い。その時に、この意識をもって接するのと、そうでないのとでは人間関係に全く正反対の結果をもたらすように思える。話の聞き手として、コミュニケータとして、誤った対応をしないために、この知識は非常に有効であると思う。
 
もちろん深刻な内容での本来のカウンセリングを要する場面では、プロのカウンセラーによるカウンセリングで対応せねばならない。本書の中でも、著者が「カウンセリングは命がけである」という趣旨のことを述べているように、中途半端なカウンセリングは危険である。
 
そして、もう一つ重要な事実が本書で明かされている。
それは、カウンセラーがクライエントを治療するのではないということである。カウンセリングにより、クライエントが自らの力で治癒していくのだそうである。つまりクライエントの自己治癒力をアシストするのが、上記の三条件の遂行ということだ。
身近にメンタルの病と闘っている人がいるならば、少なくとも三条件を誤らないことが、本人の自己治癒を阻害しないためにも重要だなと感じた。
 
この三条件の裏返しは、①無関心、②共感できていない、共感しようとしない ③自己一致していない(言ってること、やってることと、心で思ってることが一致していない)だ。・・・確かに、これはよくなさそうだ。河合先生の本は、いろいろと考えさせてくださる。
 

 

カウンセリングを語る(下) (講談社+α文庫)

カウンセリングを語る(下) (講談社+α文庫)

 

 

続いて下巻は、四天王寺人生相談所のカウンセリング研修講座の後半の講演記録をもとに編集されたものであるが、講演の内容は回数を重ねるごとにより深い部分ところに触れることが求められてきたと著者は述べている。下巻の目次は次の通りだ。
 
第一章 カウンセリングの多様な視点
第二章 日本的カウンセリング
第三章 人生の実際問題との対し方
第四章 宗教との接点
第五章 「たましい」との対話
 
全体を通して本書は、カウンセラーやカウンセラーになりたいと考えている人向けに話された講演であるので、それ以外の立場で読むときには、自分に必要なエキスを意識しながら読む必要がある。
 
第一章では、カウンセリングの流派の分類について述べられていた。クライエントの表面に現れた部分を診るのか内面を診るのか(外的現実を診るか、内的世界を診るか)で4事象に分類されていた。
・行動療法(外的現実を診て、外的な治療を行う)
・ロジャーズ派(外的現実を診て、内的な治療を行う)
フロイト派(内的世界を診て、外的な治療を行う)
ユング派(内的世界を診て、内的な治療を行う)
外的な治療は、クライアントに積極的に働きかけていくのに対し、内的な治療はクライアント自身の行動を待つというスタンスである。河合先生はユング派であり、夢の分析など内的世界を診て、クライエントが自分の力で治していくのを待つという方法である。河合先生は、上下巻を通じ、「カウンセラーがクライエントを治しているのではない。クライエントが自分の力で治っていくのを見守っている」と言われている。
 
第二章では、もともとカウンセリングという手法は、欧米から取り入れたものだが、日本でカウンセリングを行うには、日本文化とか日本人というものを考慮したカウンセリングが必要だと述べている。
 
日本は母性社会であり、「なんでもやってあげよう」という考えが強いが、欧米はそうではない。日本人は自我の確立が遅いが、欧米人は早い年代で自我が確立されている。従って、日本においてはいわゆる厳しさ(父性)の要素がカウンセリングに必要であるという。例えば、その例として、時間厳守、料金体系をきちんと決める、カウンセリングする場所を決めて行うなどである。
 
カウンセリングの内容では、ただクライエントを受け入れるだけでなく、「あなたがどう生きるのかと厳しく問う」というような姿勢らしいが、これができるようになるには、カウンセラーも経験が必要であり、カウンセラーにも指導者の存在が必要であるということだ。
 
第三章では、より困難なカウンセリングのケースが多くなってきており、カウンセラーはただ技法の習得のみに終始するのではなく、もっと「地力」を身につけないといけないとの指摘であった。カウンセリングの本以外のもっと多岐にわたる本を読むべきであり(子供の童話が非常に良い教材であるとも!)、その他スポーツでも登山でも様々な体験をすることが必要だと述べていた。
 
第四章では、カウンセリングと宗教の関係は深いと言う。子供が心の病になって、その治療のために金を惜しまない両親の事例が紹介されていた。子供のためにはどれだけお金を出しても構わないから、治してくださいという親。しかし、子どもは全く治らない。ある子供は、様々な環境が整えられている家庭において、「どうしてうちには宗教がないのか」と両親に訴えたという。河合先生の分析は、子どもは「金では買えないもの」を望んでいるんだと。
 
親は、一生懸命、金での解決に努力し、最も肝心な子どもの心の理解ということに気が付かない。そして治らない。親は完璧なつもりでも、何もしていないのと同じ。
 
宗教に入り、人々に尽くすが、自分の子どもに尽くせない親の事例も紹介されていた。
しかし本当に、親子ともに一緒に乗り越えられたとき、「人の気持ちがよくわかるようになった」と言われる人が多いとの著者の言葉も印象的であった。
 
最後の章では、エレンベルガーという人の分析・・・心の病は「創造的な病」であるという言葉が紹介されていた。フロイトも、ユングもともに心の病に苦しみ、それを克服し、心理学としての体系をなすという創造的な仕事をした。夏目漱石が極度の神経衰弱で苦しんだ後に、すぐれた文学を世に送り出したことも記述されていた。
この病に打ち勝った時、創造的な世界が展開されるという事実がある。
 
カウンセラーの立場でない自分は、第一章、第二章は、参考レベル、第三章以下に関心をもって読んだ。

 

「不定愁訴」・・・自律神経を整える

 

読むだけで自律神経が整う100のコツ 決定版

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最近、健康本を意識的に読んでいる。やはり、「健康」はすべてのことがらの大前提だ。何事も「体が資本」であるので、現状の不安要素を解消すると同時に、今後良い状態をキープするための情報収集もまた目的である。

 

本書で使われている「不定愁訴」という言葉。恥ずかしながら、自分はこの言葉との出会いは今回初めてであったように思う。この言葉の意味は正直知らなかった。

この言葉は「臨床用語」として随分昔から使われているようであるが、自分の日常の中ではこれまであまり聞いたことがない。しかし、その内容は「頭が重い、イライラする、疲労感が取れない、よく眠れない、なんとなく体調が悪い、だるい」というような体の症状を示す言葉であり、非常に身近な感覚である。医者に診てもらっても特に悪いところはないようなんだが、こういう症状があるというのが、この「不定愁訴」だ。

 

今年は1月20日が「大寒」で、「立春」は2月4日のようである。「春」という言葉を聞くだけでちょっと嬉しくなるが、まだまだ寒い日が続いている。そして、寒さのせいか、循環器系に気になる日が続いていた。恐らく不整脈が出ているためだろう。

 

腰が痛いなら腰痛体操など自己努力による対処も可能であるが、「心臓の動き」については自律神経によるものであり、自分の意思でその動きをコントロールすることはできないのが不安なところである。であるので、今回は「自律神経」に着目してみようと思った。もちろん、コロナウィルス対策への警戒も必要である。

 

Amazon Unlimitedというサービスは、サービス対象の本であれば何冊でも購入することなく無料で読める、というありがたいサービスである。その対象本には小説の類はあまり含められていないが、健康本に関してはけっこう対象となっているものが多い。上記の本もその対象である。

 

本書では、「自律神経」について、このように説明されていた。

「交感神経と副交感神経が互いにバランスよく働き、心臓を動かし、体温調整し、生命維持に直接関係する神経であり、意志でコントロールできないもの。」

 

そして、その交感神経と副交感神経のバランスは、次のような事象で崩してしまい、その結果「不定愁訴」を招いてしまうと書かれていた。すなわち・・・

・強いストレス

・不規則な生活リズム

・ホルモンの分泌失調

・生活環境の変化

 

交感神経は「起きているときの神経、緊張しているときの神経」と言われるのに対し、副交感神経は「寝ているときの神経、リラックスしているときの神経」と言われる。

 

例えば起きているとき、「頭が重い」とか、「なんとなくだるい」とか、「めまいがする」などは、交感神経が鈍っている状態にあるということだ。確かに、不規則な生活リズムのときには、ホルモンの分泌失調などでこういうことが起こるような気がする。

 

一方起きているときに、「イライラする」「動悸がする」「血圧が高い」などは、交感神経が活発すぎることによるものだそうだ。これは連動しているなぁ・・・。イライラすると不整脈が起こったり、血圧が上がるというのは経験的に理解できる。ストレスが要因の場合が多いのかなと感じる。

 

逆に寝ているときに、副交感神経が活発すぎると、「便秘」になったり、「胃もたれ」がしたりするが、副交感神経が弱まっていると「不眠症」となったり、「慢性疲労」につながったりするということだ。

 

自分の場合は、不整脈や高血圧などは「交感神経が活発すぎる」ということになる。つまりストレスが大きいのか、自分のストレス耐性が低いとか、そういうことが要因だ。例えば、「寒すぎる」というストレスに対し、緊張し→交感神経が過敏になり→不整脈という流れが考えられる。そうすると、衣類や室温で温かくする、体が温まるものを食べる、運動をして体を温めるなどが対策として浮かんでくる。

 

そうすると、まず2ステップ考えられるかな。

まず、自身の自律神経の機能を正常に保つこと。交感神経・副交感神経の切り替えを適切にし、それぞれの神経が活発すぎず弱すぎず適切に働くようにすること。自律神経失調状態にならないようにすることが基本だ。

 

次に、もし交感神経や副交感神経が適切に機能していないとき(活発すぎたり、弱すぎたりのとき)に、食事、体操、マッサージなどの対処療法的なアクションをうまく取り入れれば改善効果があるということだ。

 

本書によれば、副交感神経が交感神経に切り替わるのは、午前5時くらいとされていたので、そうであるとすれば「5時起き」というのが、一番よい起床タイミングとなる。これを規則正しく行えるとよいように思える。

 

また、風呂のアドバイス、「夜はぬるめ」「朝は熱め」も納得できた。

夜の就寝前に、熱い風呂で交感神経を活発にしてはいけないが、朝の起床時に熱めのシャワーや入浴で交感神経の活発化を促進するのはよさそうだ。スタンフォード式快眠術で、就寝前の入浴を実践するにも、「熱すぎ」はダメということになる。

 

本書には、100のコツとして、食事(ロイヤルゼリーがよいとか、ビタミンB12がよいのでそれを含む食べ物がこれだとか)、どのツボが冷え性に効くだとか、細かな豆知識が書かれている。

 

理由もなく「こういう体操がよい」的なことも書かれていて、疑い深い自分には「ほんとかよ」と思うような記述も多かったが、そういうところは対処療法的な部分であって、まずは仕組みに則って生活しようという意識が大事かなと感じたものである。