気ままな読書ライフ

気ままな読書日記

オススメしてもらった本に着手

今年の暮れも押し迫ってきた。

このブログは、昨年末の転居をきっかけに開設したのでやっと1年となる。なんとか中断することなく、持ちこたえることができた、という感じだ。新しい本、古い本にこだわることなく、自分で「読みたいな」と素直に感じたものを読んできた。だいたい直感は正しい。選んだ本で失敗だった感じた本は、なかったと思う。

 

今回の本は、若干旬を過ぎている感もあるが、書店の店頭ではよく見かけた本である。

あるサイトで「メンタルの療養中で今まで本が読めなかった者が、最近読めるようになってきたのですが、そのような人にオススメの本はありますか?」と公開質問したときに複数の方が、幾つかの本を紹介してくださったが、そのうちの一冊がこの本だった。

自分も人に勧めるにあたり、自分でも読んでおこうと思ってワンクリック購入していたものだ。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 まだ、読了したわけでなく、真ん中あたりを読んでいるところだが、これは紙の本にそのページがあるのかどうかわからないが、ところどころに著者が現地で撮った写真が収められていて、その写真が非常に珍しいものが多く面白い。

 

内容としては、おそらくこれから読む最後の2つの章にクライマックスが込められているような予感がしているが、ここまでもけっこう楽しめて読めている。この本をオススメしてくださった方の気持ちもよくわかる。

 

この著者は、まさに「自分自身に生きる」男であるので、「心に不自由さを感じている人たちにも、心が解放されるきっかけとなるのでは」というような思いでオススメしてくださったのではないかと思う。そういう狙いどおりの本と思う。

 

そもそも、「バッタ」という昆虫に夢中になれる日本人はレアだろう。アフリカのモーリタニアという国に詳しい日本人もレアだろう。この本の魅力は、バッタやアフリカにあるのではなく、著者の生き方にある。もちろん、知らない世界への好奇心は存分に満たしてはくれる。

 

これまでのところで、熱かったのは、著者があこがれのファーブルの学位取得した地や、実際のファーブルの家を訪れたところだ。

 

もちろん、わざわざ未知の異国に飛び込んで、研究に没頭するシーンも面白く読めるが、その研究対象のバッタが60年に一度という大干ばつのために全くいなくなり、研究できない期間、開き直って南フランスのファーブルゆかりの地を訪れたのだ。

 

彼にとってはファーブルというのは、子供時代のあこがれであり、昆虫研究者となった今では、もう伝説の師匠という感じだ。自分が書いた論文原稿を、ファーブルの像に捧げて写真をとって感激するあたりなんぞは、本当にファーブルを尊敬しているんだなぁと気持ちが伝わってきた。

 

彼は、研究を心から楽しんでいるし、モーリタニアの生活や、現地のスタッフとのコミュニケーションも心から楽しんでいる。これで成果が伴い、自身の目的がすんなり達成できたなら、この本の価値は半減しただろう。

 

いま彼は困難に直面している。腹をくくったところだ。

この続きは、今夜の楽しみだ。

 

 

 

「BLUE GIANT SUPREME 9」

 

BLUE GIANT SUPREME (9) (ビッグコミックススペシャル)

BLUE GIANT SUPREME (9) (ビッグコミックススペシャル)

 

 

カルテット「NUMBER FIVE」にレコーディングの話が舞い込んだ。あのモーレン5を売り出したMNCレコードの重役ハインドル氏がスポンサーとなってすべての資金を支援してくれるという願ってもないオファー。これが大にとっては人生初のレコーディングとなる。

 

レコーディングエンジニアは、ノア・ヴァッサーマンという一見感情の読めない精密機器のような男。しかし、初のレコーディングに気合の入る大には、そっちは全く目に入らない。一発めのテイクからフルパワーでぶっ放していく。
 
ノアは、彼らのパワーと実力の只者でないことを察知し、自らもこのメンバーの一員と自覚し、全身全霊でレコーディングに集中する。結果、最高の一枚が完成した!
 
このアルバムは、ヨーロッパの各地で大きな予兆を感じさせる確実な反響を獲得していく。オランダのホルスト・ジャズ・フェスティバルでステージにあげてくれたあのサムの手にも届いた。
 
一方、大のバンドで大の代役を務めたスーパープレイシャー・アーネストも自らの道を着実に切り拓いている。ヨーロッパで、いまやアーネストとNUMBER FIVEは、若手ジャズの2大勢力として注目を集めてきた感がある。
 
そんな流れの中、大たちのバンドにビッグなフェスへの出演が決定する。なんとそれはロックフェスだ。規模もこれまでとはけた違いの規模の野外ライブ。そしてそのロックフェスに、ジャズバンドがたった2組出場する。それがなんと、アーネストのバンドと、大たちのバンドだ。
 
ロックのバンドの中で、ジャズバンドがどう存在感を示すのかというのもあり、またその2つの異色のジャズバンドが、どちらも新進気鋭のバンドであるだけに、その注目度がどうなのかというのも興味深い。メンバーの意識の変化もあり、次の展開を見逃すことはできない。
 
今回の巻、ベルリンで苦い思い出のあるDG Cornerでのリベンジの演奏も強烈なインパクトだ。ひょっとするとこの巻のクライマックスは、このシーンだったかもしれない。
 
***
 
と、とりあえず真面目にレビューを書いてから、ベルリンの最悪のステージの様子をもう一度確かめに行ってみた。第5巻だ。
 
ステージに向かおうとする大が、いきなり床の出っ張りにつまづいて、バランスを崩しながらステージに入るシーンから始まり、緊張からハンナのベースがいきなりテンポアップしてしまうのだ。そこからというもの「俺が、俺が、、、」と我の強いブルーノのピアノがどんどん暴走しだす。機転を利かせたラファエルのドラムが、なんとか空中分解を寸前で食い止めたものの、客がバラバラと帰りだす始末。あぁ、なんと悲惨。
テクニックこそあるものの、まったく統一感のない、散々なステージだったのだ。
 
そんな彼らがの最高のリベンジをやってのけた。ほんといいよね、このマンガ(笑)。
 

ドナルド・キーンの「思い出の作家たち」

2019よいよ師走に入った。今年も様々なニュースがあったなかで、ドナルド・キーン氏が亡くなったというのも、今年前半の記憶されているニュースの一つだ。

今調べてみると1922年生まれで没年齢は96歳。日本に留学で来られたのが1953年(昭和28年)で、日本国籍を取得されたのが2011年だから、日本研究は66年以上、日本人歴は8年ということになるか。ともかく、日本についての知識は、どんな日本人も足元にも及ばないかもしれない。そんなキーンさんのエッセイを読んでみたくなった。

 

思い出の作家たちーー谷崎・川端・三島・安部・司馬 (新潮文庫)

思い出の作家たちーー谷崎・川端・三島・安部・司馬 (新潮文庫)

 

 「思い出の作家」たち。

キーンさんの生涯において、心に残る5人の作家がセレクトされている。

谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫、阿部公房、司馬遼太郎の5人。

 

昨日、今日と一泊の人間ドックに行った際に、診察の待ち時間の読書用として、この「思い出の作家たち」と芦田愛菜ちゃんの「まなの本棚」の2冊を用意していったが、前者は硬めで、後者はほのぼのだ。

 

それで、キーンさんの本の最初に登場したのが谷崎潤一郎。なんと芦田愛菜ちゃんも、谷崎潤一郎の「細雪」を読んでいたからびっくり。自分は、谷崎潤一郎は、一冊も読んだことがない。

 

細雪(上) (新潮文庫)

細雪(上) (新潮文庫)

  • 作者:谷崎 潤一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1955/11/01
  • メディア: 文庫
 

 

キーン氏から見て谷崎氏は日本文学界でも偉大な人物ととらえていたようだ。日本に来る前から谷崎研究にターゲットを絞り、わざわざ留学先に京都を選んだようだ。最初の接点は、谷崎宅に「蓼食ふ虫」の翻訳稿を届けるという役目を担ってということだったらしい。りっぱな邸宅で、鹿威しの音が響き、和服姿の谷崎が出てきたそうだ。

 

そんな話に続いて、谷崎のキーン氏からみた人物像が描かれている。が、どういったらいいのか、自分がそこから想像した谷崎像は、エロおやじ、西洋かぶれなどのマイナーなイメージが強かった。

 

キーン氏は、谷崎の作品は「告白目的でなく、いかなる哲学も主張せず、倫理的でも政治的でもないが、文体の大家の手で豪華なほど精緻に作られている。人生いかに生きるべきかの知恵とか、現代社会の罪悪に関する鋭敏な分析とかを求めて谷崎を読む者など一人もいない」といい、「文学なればこその喜びや、人間にとっての永遠不変な事象の反映を求める読者にとっては、谷崎を越える作家を発見することは不可能」と述べている。

 

女性好きと気ままな私生活は、倫理的でないのかもしれないが、それはもっと文学的な生き方といえるのかもしれない。生き方が凡人にはわからない芸術性をおびているのか?少なくとも、芦田愛菜ちゃんを読者として満足させるからには、文学として魅力があるということであり、これは「未読」で評価するのではなく、ともかく「細雪」はどういう作品なのかを確かめてみる必要がありそうだ。

 

ついで、川端康成川端康成といえばノーベル文学賞だが、そのノーベル賞受賞に関する経緯について、身近にいたキーン氏が語っている。本書を読んでみると、当時の実力的には三島由紀夫が第一候補だったように書かれていた。そして、川端自身が三島の才能を認めていた。

 

そうであるのに、川端がノーベル賞を受賞し、その後に三島が自殺をしたことで、川端は二重の苦しみを感じていたようだ。それが川端の自殺の要因だったかどうかは定かではない。ちなみにまなちゃんは、「雪国」も「伊豆の踊子」もちゃんと読んでいる。

 

雪国 (新潮文庫)

雪国 (新潮文庫)

  • 作者:川端 康成
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: ペーパーバック
 
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

  • 作者:川端 康成
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/05/05
  • メディア: 文庫
 

 

三島由紀夫。キーン氏は三島由紀夫との交流も深かった。三島由紀夫の最後の長編小説「豊饒の海」の原稿に記された完成日は、三島の割腹自殺の日付(昭和45年11月25日)となっていたという。

その最終章の原稿をキーン氏が預かったのは8月だった。すなわち三島にとって、自決する日は決まっており、その自決の日にこの小説が完成せねばならなかったということだったという。キーン氏は、その謎について解明することができたのだろうか?

こういう謎の存在を知ったならば、その「豊饒の海」はいずれ読まねばならないな。

さすがに、愛菜ちゃんの本棚紹介にこの本は登場しなかった。

 

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

  • 作者:三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 文庫
 

 

阿部公房の「砂の女」はかろうじて過去に読んだことがある。阿部氏があのカフカを敬愛していたとは本書を読んで初めて知った。

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

  • 作者:安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 文庫
 

 

 

そして、司馬遼太郎。ともかく、司馬は知識が莫大で、キーン氏と対談したときにも、キーン氏が答えやすい話題を提供しながら、話をどんどん展開していくというので、キーン氏が驚嘆し、非常に尊敬もしていた。感謝もしていた。あのキーン氏を驚嘆させるほどであるから、司馬氏の莫大な知識というのは想像を絶する。

 

キーン氏曰く。「私は司馬の著作を高く評価しているが、小説家としてよりも、素晴らしい人間としての彼が、私の記憶の中で生きている。私のこういう見解は、作品に全身全霊を捧げていた彼をがっかりさせるだろうが、成功した作家を発見することなどより、司馬のような人物を見出すことのほうが、よっぽど稀有なのだ。彼は立派な男であった。その意味は、単に間違いをおかさない、といった月並みなことではない。愛国的な情熱によってではなく、日本人であることの、歴史を通じた冷静な認識によって、彼の著作は国民全体を鼓舞したのである。」

 

司馬遼太郎が愛した日本人

引き続き、「司馬遼太郎 リーダーの条件」を読んでる。

本書には、司馬遼太郎という作家や、その作品、その作品に登場する歴史上のリーダー等をめぐって、4つの座談会の内容が収められており、昨日の通勤読書では、2つめの座談会、半藤一利氏、山内昌之氏、磯田道史氏、水木楊氏の4人による「司馬遼太郎が愛した日本人」というテーマの座談会を読んだ。

 

 この中で、水木氏は司馬遼太郎の好きな人物の特徴を4原則として述べていた。

①軽やかで明るい人物

②才気のある人物

③合理的思考にたけた人物

④最後に、ちょっと外れた人間

それを例えて、読売ジャイアンツではなくて阪神タイガース的な人物と語っていた。

なんとなくニュアンスはわかる。がっちり型にはまったエリートではなく、型破りな人物という感じだろうか。もともと司馬さんは関西の人で、関西人にはそういう気質があり、そういう人物に愛着がわくというのはなんとなくわかる。

それに関西人は関西びいきの気質もあり、司馬さんは家康よりも秀吉が好きで、黒田官兵衛雑賀孫一というような人物を取り上げる。こういうところの座談を読んで、まだ未読の関西人小説を早く読んでみたいなという気持ちがそそられてくる。

 

いまでこそ坂本龍馬は、幕末の第一の英雄のように扱われているが、本書の座談会のどこかで、司馬さんが坂本龍馬を書くまでは、むしろ主役は桂小五郎で竜馬はあまり知られた存在ではなかったということが書かれていた。「ふ~ん、そうなんだ」と思いながらも、歴史の知識豊富な人たちの座談会のそういうところに引き込まれていく。

 

それと、もともと新聞記者だった司馬さんが、ニュースのスクープをとるように、それまであまり知られていない人物を取り上げて、その本質を掘り当てて、世に感動を与えるみたいな、作家として、小説家としてのスクープを本能的に求めているというようなことも語られており、そういう話にも「おもしろいなぁ」と感じながら読んでいた。

 

ともかく、次から次に司馬遼作品の話題が出てくるので、まだまだ未読が多い自分は、この年末年始は司馬遼太郎作品に埋もれようか、などというような妄想が出てきたりしている(笑)。

 

「知謀のひと 竹中半兵衛 大村益次郎 秋山真之

「トップの男 織田信長 嶋津斉彬 西郷隆盛

「世界が見える 勝海舟 坂本龍馬 緒方洪庵

「義に生き義に死す 吉田松陰 松平容保 村田新八

「悲運の侍 河井継之助 小栗忠順 正岡子規

 

こんなテーマで語られているのだから面白い以外の何物でもない。

次に手を出したい本が広がる、読書意欲を促進してくれる本であると思う。

 

司馬遼太郎 リーダーの条件 (文春新書)

司馬遼太郎 リーダーの条件 (文春新書)

 

 

司馬遼太郎 リーダーの条件

 

司馬遼太郎 リーダーの条件 (文春新書)

司馬遼太郎 リーダーの条件 (文春新書)

 

 

読みたい本が幾つかたまってきている。しかし、あちこち手を出してしまうと、内容に集中できないので、やはり一本に集中して読み切ってから次の本へ移りたい。今日の通勤本は、本書に決めた。本書は10年くらい前に出た本だけれども、司馬遼太郎の作品について語られた本であるので、内容的な古さはほとんど感じられなかった。

 

まぁ、リーダー論の本ではあるので、当時の政界のリーダーとして「小泉首相」と出てきたところだけは、一昔前を感じずにはいられなかったが(笑)。

 

それにしても、歴史好きが歴史を語りあう本というのは、本当に面白い。お互いの知識をぶつけ合うというのではなく、「司馬遼太郎の作品」という共通テーマを掲げて、それについて語り合っているのである。共通の愛する作家について語り合うのだから、メンバー自身も至福のひと時を過ごしていることになるだろう。

 

最初の座談会では、半藤一利吉田直哉田中直毅関川夏央磯田道史の5人の語らいである。半藤氏が一応は司会者的な役割を担っているように思うが、はやり歴史探偵としては、司会のみに満足しているわけにはいかないようだ(笑)。

 

語り合う対象の人物として登場するのは、はやり幕末が中心となってくるようで、坂本龍馬勝海舟西郷隆盛大久保利通桂小五郎土方歳三高杉晋作大村益次郎河井継之助、そして「坂の上の雲のステージに入って、乃木希典秋山真之について、語り合っているのである。

 

途中、コラムがあり、上記5名の座談会メンバーが自分の好きな「司馬作品の中のリーダー」をそれぞれ5人ずつ挙げている。もちろん、坂本龍馬勝海舟ら、かぶった人選をしている人も当然いるが、5人の選び方はやはりみんな違う。人によって好きなリーダーは異なるということだ。

 

坂の上の雲」から正岡子規の人選がかぶっていることに興味がわく。先日読んだ、俳句の夏井いつき先生の子規の俳句の本で、逆に「坂の上の雲」の子規に触れられていたこともあり、これは非常に興味深い。確かめてみたい。

 

ところで、司馬遼太郎氏に、「最も好きなリーダー」は誰かと誰かが問うた際に、「人それぞれに良いところも悪いところもあり、それぞれであって、選びにくい」というのが答えだったようだが、それが歴史人物を極めてきた司馬遼太郎氏の答えであるというのがうなづける気がする。その答えに対し、磯田氏は「バラエティーが大事というこですね」とさらに抑えにきている。

 

人それぞれ。個性。これが真実なのだろうなと思えた。

先の5人の選び方にも個性が現れるのは、それを裏付けているのだと思える。

歴史は、さまざまな人たちによって編み込まれているのだなと感じる。そういう意味で、たくさんの人物を読んでみたい。そう思えたのは、今日の通勤読書の収穫だ。

 

サンデーウォーク/「三国志」第五巻読了

今日は日曜日。

先日から「サンデーウォーク」と称し始めた、日曜朝のウォーキングに出かけた。今日のコースは、多摩湖を望む狭山公園内を歩いて、町内もぐるっと回って自宅に戻るコースとした。今日は秋晴れの絶好のウォーク日和で、空気も澄んでおり、多摩湖の向こうに富士の雄姿がハッキリと見えた。狭山公園内の木々も徐々に紅葉が進み、いまが一番美しい季節のような気もする。

ウォーキングは、もちろん気持ちがよいからというのもあるが、やはり体力維持がメインの目的である。このサンデーウォークのセットメニューとして今日新たに一つプログラムを追加した。先日記事で読んだ「真向法体操」という体操で、腰痛の改善を図りたいと考えている。

 

朝晩寝る前に、布団の上でこれを実行することとした。ごく簡単な体操だが、要は持続する自分の意志こそが一番の課題であろうと思う。初回の感触は「非常に良い」。

①あぐら姿勢で両足の底を合わせ、前屈

②両膝をまっすぐ伸ばし、足首を直角にして、前屈

③両足を開脚し、前屈

以上①~③を5セット。

④正座し、後ろに倒れる(1分間維持)

 

今日のウォークの音楽は、セロニアス・モンクのアルバム「ミステリオーソ+2」とした。1958年、ニューヨーク、「ファイブ・スポット」でのライブ収録。

トップのNuttyでは、いきなりモンクとグリフィンの競演がとても楽しい。リズムにのってウィークもどんどんペースに乗ってくる。今週の通勤ウォークでもしばらく、このアルバムを味わいたいなと思う。

Nutty

Nutty

  • provided courtesy of iTunes

 

さて、読書のほうだが、先週宮城谷「三国志」の第5巻を読み終えた。

第5巻は「孫策」の章から始まる。孫策は若く強い。周瑜と朋友であり、このタッグは無敵のように思える。二つ目の「素志」の章では、曹操が戦っている。

名門出身の兄弟、袁紹袁術が、このときの勢力としては二強であったと思うが、その周辺で曹操劉表劉備孫策らが、それぞれに実力をつけてきており、力のバランスが、ジワリジワリと変化してきている。

 

袁紹曹操の勢力をこの時点で比較すると圧倒的に袁紹のほうが巨大であり、曹操はまだ弱小のイメージであった。しかし、両者を戦い方という視点で比較してみると、むしろ曹操のほうが圧倒的に強そうに感じてしまう。

 

曹操献帝を自軍に迎え入れ、小さくとも官軍的位置づけである。一方、袁紹軍は巨大勢力ではあるものの、泪授の「帝を迎え入れるべき」という提言を退け、どちらかというと袁紹の思いつきのみで戦っている感がある。また、曹操には謙虚さがあるのに対し、袁紹にはおごりが見えてくる。

 

宮城谷氏は、袁紹のことを「百戦九十九勝の項羽と同等、謙虚さに欠ける」と指摘するとともに、「大差が生じるのは決断においてである」「人の和は作ることができる。地の利も得ることができる。だが、天の時は求めてもつかむことができず。与えられたときに受け止めるしかない。」等とその優柔不断な点についても指摘を加えている。

 

本巻の最終部では、ついに袁紹軍10万と、曹操軍5万の全面直接対決となる。いわゆる「官渡の戦い」である。勢力では圧倒的に袁紹軍が有利であったが、結果として曹操軍が大勝する。このような展開が「三国志」の魅力あるところだ。

 

しかも序盤は袁紹軍の猛烈な射矢の攻撃で、かなりのダメージを受けてしまった曹操軍だが、そこで発石車(石を飛ばすマシン、つまり大砲の元祖)を編み出して逆転劇を演じる場面は、粘りに粘り、知恵の戦いで勝利を導く曹操の魅力が存分に発揮されるシーンである。

 

この後、孫策は流れ矢にあたってあっけなく命を落とす。その勢力は孫権に引き継がれる。また、袁紹とともに、袁術も姿を消す。

 

敵対する勢力が次々と姿を消していき、いよいよ曹操の独壇場となっていくのか。

 

早稲・中稲・晩稲

早稲(わせ)・中稲(なかせ)・晩稲(おくて)と読むのだ。早稲と晩稲は言葉ではよく聞くが、中稲(なかせ)は恥ずかしながら知らなかった。PCでも「なかせ」と入力して候補に「中稲」は表示されなかった。

 

稲にも成熟期の遅早があり、8月中旬~9月中旬くらいの成熟が「早稲」、9月下旬~10月中旬が「中稲」、10月下旬~11月上旬くらいが「晩稲」と呼ばれるのだそうだ。

 

これと似たような概念で、仏法には、「上品(じょうぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「下品(げぼん)」というのがある。得道の機根について、早いのが「上品」、遅いのが「下品」であるが、早い遅いの違いはあっても、すべての人が得道できるという点が重要だ。自分は間違いなく「下品」の区分に属するようではあるが、学び続けたいとは思う。

 

今朝は「法華経」の「令顚倒衆生 雖近而不見(りょうてんどうしゅじょう すいごんにふけん)」という言葉について学んだ。「顚倒衆生をして、近しと雖も見ざらしむ」-これは、「心が転倒した衆生には、近くにいても(仏のことが)見えない」という意味。さらに解釈を広くとれば、「境涯が低ければ、どんな素晴らしい世界が目の前にあろうと見えない」ということにも通ずる。

 

つまりは、「自分自身の境涯を高めていくことが大事なのだ」という結論に達する。「境涯が高い」とはどういうことなのか、「境涯を高める」にはどうすればよいのか、ということが自分自身が考え実践すべき課題だ。

 

さて、そんなことを頭の片隅に起きながら、今日は今日の仕事をやろう。

出かけるときには、本を忘れずに。

この前読み始めた「三国志」第5巻を持って出かけよう。

袁紹袁術劉表孫策劉備、そして曹操がそれぞれの思惑を成就させるべく動き始めた第5巻。宮城谷氏の「三国志」は、非常に表現が固く難しい言い回しであるのと、漢字が難しいのとで、すっとばして読み進めていくことは難しい。しっかりと読み進めていかないと、ストーリーを見失ってしまう恐れがある。焦らずじっくりと、だな。

 

三国志 第五巻

三国志 第五巻

 

 

それと図書館に予約本が到着したようだ。前から井上ひさし氏の「四千万歩の男」(伊能忠敬の話)を読んでみたいなと思っていたが、5巻もあるので、まずは「四千万歩の男 忠敬の生き方」という本がダイジェスト本に思えたので、そちらを予約してみた。これが到着したと通知がきたので、取りに行くことにしたい。

 

 

四千万歩の男 忠敬の生き方 (講談社文庫)

四千万歩の男 忠敬の生き方 (講談社文庫)

 

 

税務署に出かけて、そのあと帰りに図書館経由でかえってくることにしよう。

今日は「一万歩以上の男」にはなりたいと思う。